芥川也寸志『管弦楽選集2』。オスティナートへの、それこそ字義どうり執拗なあきれるばかりのこだわり。
芥川也寸志 管弦楽作品集 Yasushi Akutagawa: Orchestral Works、交響三章 (1948) 、 交響管弦楽のための音楽 (1950)、弦楽のための三楽章 トリプティーク (1953)、、エローラ交響曲 (1958)、チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート (1969)、オーケストラのためのラプソディー (1971) 、オルガンとオーケストラのための「響」 (1986)
きょうは町の図書館から借り受けてきたシェーンベルクの「浄夜」を投稿しようと思い、念のため拙ブログの書庫を覗いてみたら、何のことはない、もう既に≪後期ロマン派の香り濃厚、豊麗なオーケストレーション『浄夜(浄められた夜) op.4』(1899)と精神の端然を聞く無調時代の傑作『管弦楽のための変奏曲 op.31』(1926-1928)。≫とタイトルして投稿済みではないか。なんたることだろう。これは難儀だ。ということで急遽変更して、これまた中央図書館のネット予約借受していた芥川也寸志(1925 - 1989)の『管弦楽選集2』を取り上げることとしよう。師に伊福部昭を戴くように、作風は民族主義的と括ってもまちがいではないだろう。とにもかくにもオスティナート(ostinato)の多用を師弟ともども特徴とする。WIKIによれば、それは≪ある種の音楽的なパターンを続けて何度も繰り返す事をさす。ostinato(伊) は obstinate(英)と語源を一にし、「がんこな、執拗な」という意味を持つ。このため、執拗音型、執拗反復などと呼ぶ事がある。≫のだそうで、たしかに「がんこ、執拗」な繰り返しのオスティナートは高揚感、法悦、カタルシスをもたらす。≪快活な人柄で知られ、姪からは「はるかぜおじさん」と呼ばれていた。ただし芥川自身は「私自身は物事をやや深刻に考え過ぎる欠点を持っているのに、私の音楽はその正反対で、重苦しい音をひっぱり回して深刻ぶるようなことは、およそ性に合わない」≫(WIKI)と述べているとのこと。オスティナート多用の心的機制はこれを証しているのだろう。たしかに暗い感じではない。オスティナートの沸き立つ力強い響きに乗ってスカッとココロが晴れる爽快感はある。だが、このアルバム収録曲で私が気に入った作品は≪芥川に珍しい苦渋に満ちた感情表現≫を聴くことが出来る『チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート』(1969)だった。この線でいけばもっと奥深い重量級の作品を遺せたのではないかと思えるのだが・・・。そうした印象は投稿済みの≪思想的音楽観(社会主義リアリズム)と資質のリリシズムの足枷にジレンマを聴く『芥川也寸志・作品集』(NAXOS盤)≫として述べておいた。
在学中に作曲した『交響三章』(1948)の、とりわけ2楽章に流れる印象深い哀さたたえたメロディーメイクには後年の映画音楽での数々の名作を予感させるものがある。愛すべきメロディメーカーの誕生といったところだろうか。
在学中に作曲した『交響三章』(1948)の、とりわけ2楽章に流れる印象深い哀さたたえたメロディーメイクには後年の映画音楽での数々の名作を予感させるものがある。愛すべきメロディメーカーの誕生といったところだろうか。