yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

桃山晴衣、作・編曲『遊びをせんとや生まれけん・梁塵秘抄の世界』(1981)。もっとワールドワイドでエスニックに遊んだ方が・・・。

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遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
 
仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ。

イメージ 2先日、新聞訃報欄に桃山晴衣(ももやまはるえ)さんの逝去記事が目にとまった。ということで、白河法皇が編した梁塵秘抄を、“よみがえらそう”とこころみた桃山晴衣の『遊びをせんとや生まれけん・梁塵秘抄の世界』(1981)をとりあげて、哀悼としよう。このレコードをプロデュースした中村とうようが解説書に≪シルクロードを幻視しつつ、中世動乱期の庶民の歌謡をよみがえらす≫とそのコンセプトを述べているのだけれど・・・。どうもわたしには、「遊び」がたりない、中途半端な印象が拭えないのだけれど。たぶんこうであっただろうというスタンスからの音作りに無理があるように思えるのだが。学術的には意味もあるのだろうけれど。みてきたような・・・を試みるより、ワールドワイドに、エスニックに<今を(愉しく)遊>べばよかったのではと思うのだが。雅といえばそうかもしれないけれど、こんなにシケタ、ショボクレタ音の世界だったのだろうか。平安京は当時、世界第五位、18万人の人口を擁する大都会だったそうなんだけれど・・・。もっと遊んだほうが・・・と思いつつ今日に至るまで投稿の機を失してしまった。故人を貶める気などさらさらなく、私の勝手な独善的シロウト判断でしかないことをお断りしておこう。合掌。



桃山晴衣、作・編曲『遊びをせんとや生まれけん・梁塵秘抄の世界』(1981)

君が愛せし綾蘭笠
きみがあいせしあやいがさ

舞え舞えかたつむり〜居よ居よ蜻蛉よ
まえまえかたつむり〜いよいよとうぼうよ

遊びをせんとや生まれけん
あそびをせんとやうまれけん

そよや、小柳によな
そよや、こやなぎによな

わが恋は、おととい見えずきのう来ず
わがこいわ、おとといみえずきのうこず

恋しくば、疾う疾うおわせわが宿は
こいしくば、とうとうおわせわがやどわ

恋い恋いて、たまさかに逢いて寝たる夜の
こいこいて、たまさかにあいてねたるよの

からすは見る世に色黒し
からすはみるよにいろくろし

わが子は十余になりぬらん
わがこはじゅうよになりぬらん

熊野へ参らんと思えども
くまのへまいらんとおもえども

結ぶには
むすぶにわ

仏は常に居ませども
ほとけわつねにいませども