アルヴィン・ルーシェ『BIRD AND PERSON DYNING/THE DUKE OF YORK』(1975)。手作りな電子変換されたシンプルな響きが、耳そばだてひたすら聴くことの真摯を要請する。
さて、きょうもワケ分からないつながりで、昨日に引きつづいてケージ以降のアヴァンギャルダー、今やアメリカ実験音楽の大御所の一人ともいえるだろうアルヴィン・ルーシェ Alvin Lucier (1931-)のアルバム『BIRD AND PERSON DYNING/THE DUKE OF YORK』(1975)を取り上げよう。(このイタリア・CRAMPSレーベルの現代音楽シリーズはワケ分からないのが多い。)ところで、今これを綴っていて思ったのだけれど、この世代(戦後現代音楽の主潮流、無調セリエールをスタートに正統的な音楽教育をつんで来ている。たとえば、このアルヴィン・ルーシェルもルーカス・フォス、アロン・コープランドを師にもっている)はデジタルではなくアナログ電子変換での音響探求を特徴とすることだったのだ。大袈裟な装置を使うのではなくいわば手作りに近い音響パフォーマンスが生命線だったのだと思えてきたのだ。ここいらがデジタル世代のある種能天気な楽天的なノイズパフォーマンスとの違いといえばいえるのかもしれない。手作りな電子変換されたシンプルな響きが徐々に重・複層されて不明瞭な拡大されたノイズへと溶解してゆくうちに、これらの聴き手のうちに立ち現れるもの、告げ知らせるものは、音、響きに耳そばだてひたすら聴くことの真摯を要請するものといえようか。単純な音響の変化を追う、いってみればそれだけのことなのだけれど、こうした手作業(ゴードン・ムンマ GORDON MUMMAなど半田ゴテ片手に電子機器を改作手作りして電子音響ライヴパフォーマンスをしていたそうだ)の思索的探求はアナログたるの由縁なのだろう。ディテール、ビミヨーへのこだわり・・・。日本人がディテールにこだわる感受性において繊細であるのがほんとうなら、こうした音楽家が今日の電子産業技術時代に出てきていてもいいはずだったのだけれど・・・私が知らないだけかもしれないが、あまり聞かない。
『BIRD AND PERSON DYNING/THE DUKE OF YORK』 Cramps Records (Italy), 1975.
—BIRD AND PERSON DYNING (1975), for performer with microphones, amplifiers, loudspeakers and electronic birdcall .
—THE DUKE OF YORK (1971), for voice and synthesizers, Alvin Lucier, voice.
—THE DUKE OF YORK (1971), for voice and synthesizers, Alvin Lucier, voice.
http://transition.turbulence.org/networked_music_review/2008/02/20/net_music_weekly-vespers-by-alvin-lucier/
"Vespers" by Alvin Lucier
"Vespers" by Alvin Lucier
http://www.lastfm.jp/music/Alvin+Lucier/_/I+Am+Sitting+In+A+Room?autostart アルヴィン・ルーシェ音源あり
http://blog.poqu.org/2008/10/14/ubuweb_sound/
http://blog.poqu.org/2008/10/14/ubuweb_sound/
http://www.ubu.com/sound/ lucier.htmlubuwebアルヴィン・ルーシェ音源あり
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http://www.ubu.com/sound/sau.html 上記アルバム音源
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