デレク・ベイリーとエヴァン・パーカーの『THE LONDON CONCERT』(1975)。イギリス・フリージャズ史が生んだ稀有なデュオ・インプロヴィゼーションの成果。放心の美、無明の明。
Derek Bailey and Evan Parker - improvisation #1 (excerpt) (1985/04/22)
そうです。これはまったくのランダムネス、ブラウン運動の具現といえよう。まさしく複雑系の存在認識。
偶然に委ねる 放心の美、これ以外に言葉をもたない。イギリス・フリージャズ史が生んだ稀有なインプロヴィゼーションの成果デレク・ベイリーとエヴァン・パーカーの『THE LONDON CONCERT』(1975)。
偶然に委ねる 放心の美、これ以外に言葉をもたない。イギリス・フリージャズ史が生んだ稀有なインプロヴィゼーションの成果デレク・ベイリーとエヴァン・パーカーの『THE LONDON CONCERT』(1975)。
≪インプロヴィゼーションと作曲とのひとつの違いは、時間的要素だろう。ひとつの音という容器に込める時間。作曲するなかで、音本来が持っている時間が希釈されてしまう。何も知らないということの雲から放射されてくる音ほど強力なものはない。日本式にいうと「無明の明」ということかな。増大する知識に抗してこの無明の明の境地に至るにはどうしたらいいか。演奏にまつわるさまざまな知識やノウハウを、どうやって解消していくか。インプロヴィゼーションを続けるには、この無明の域を持続させていくことが一番肝心だ。ノウハウを蓄積するのとはちょうど逆のことになる。無明を持続するノウハウを知りたい、とすら思うね。(笑)≫(デレク・ベイリー)
≪不在そのものへのあくなき追求≫であり、それはすなわち≪「いま、われわれが感じているのは、イマージュ、根源的(イマジネール)なるもの、想像力(イマジナシオン)がただ内的幻覚への生来の嗜好だけでなく、非現実的なものの独自の現実への接近を示すということである。」(モーリス・ブランショ Maurice Blanchot, 1907 - 2003・終わりなき対話)≫。