yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ヘルムート・ラッヘンマン『NUN』(1997-1999/2003)。トータルセリエールへの取り組み研鑽あってこその、止揚温故知新、革新特殊奏法の音響造形。

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Helmut Lachenmann: "Tanzsuite mit Deutschlandlied" (1979-1980) for string quartet and orchestra

           

  「たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だ主もなく客もない」
                松岡正剛の千夜千冊『西田幾多郎哲学論集』

イメージ 2きょうもまた、先日年末にタワレコ仕入れたアルバム三枚のうちの一枚。これは珍しく新品。大枚はたいて購入しました。いまやシュトックハウゼン亡きドイツ現代音楽界での大御所のひとりヘルムート・フリードリヒ・ラッヘンマン Helmut Friedrich Lachenmann(1935 - )のもの。タイトルは『NUN』(1997-1999/2003)。ドイツ語辞書を繰ってみたところ、たぶん間違いはないと思うが「今や、そのとき」といった意味があった。それにCD英文解説のなかに、西田幾多郎の著書「場所の論理」からの引用がみえた。「The self is no thing, but a place」。禅的思想の詰まった主客の場所論、述語論というわけなのだろう。こうしたことを前知識として措かなくても、その響き、余韻は斯く耳に届いてくることだろう。もう、ラッヘンマンといえば特殊奏法のオンパレード、その音色の特異を徹底的に探求展開してきた作曲家の一人で、その最たる存在と認知していたのだけれど。放送等で聴き知ってはいたもののアルバムを今まで手にするにはいたらなかった。ところが以前NHK・FMの現代音楽の放送で、この『NUN』を聴き、これは機会があればもう一度聴きたいと思っていたところ、先ほどの年に数度あるかないかのショッピングで、出くわしたのだった。ここで言っておかなければならないのはこのラッヘンマンにはトータルセリエールへの取り組み研鑽【1935年シュトゥットガルト生まれ。55年から58年までシュトゥットガルト音楽大学にてピアノ、作曲、理論を学び、60年までヴェネツィアルイジ・ノーノの最初の弟子となった。その後、シュトックハウゼンにも師事。65年にはベルギーのヘント大学の電子音楽スタジオに勤務。60年代前半からベネツィアビエンナーレダルムシュタット国際現代音楽夏期講習などで作品を発表し、当時はノーノの点描的な作風に強く影響を受け、ポスト・ウェーベルンの流れを色濃く見せていた。】(武満徹作曲賞 2009年度審査員、ヘルムート・ラッヘンマン)で培われた書法と研ぎ澄まされた感性がしっかりと根、土台にあるせいか、それら特殊奏法が奏でる千変万化の音色たちには、見事なまでの精神的緊張と纏まりが保たれ聴けることだった。ただのコケオドシの変奇を羅列するだけの凡庸には程遠く、なるほど、これは違う、タダモノではないと思わせる緊張感と音響迫力に感じ入ったのだった。裏にあるこのガッチリした基礎を否定止揚さるべき土台として有するからこその確信の輝く成果といえるのだろう。以前取り上げたスペクトル楽派のブライアン・ファーニホウを取り上げたさいにもそれは感じたことだった。最先端と目される音響作品も斯く止揚温故知新にての豊穣というわけなのだろう。
最後に、Ensemble Modern Orchestraの演奏も見事と括って擱こう。



Helmut Lachenmann 『NUN』(1997-1999/2003)
Ensemble Modern Orchestra
Live recording from 2005-10-20, Konzerthaus Berlin