yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ハリソン・バートウィッスル『The Triumpf of Time(for orchestra)』(1972)。時に抗うことの出来ぬ有限存在・人間の救い難い虚無を前にした苦悩の音響造形ということか?。

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Birtwistle : ...agm... (1/3)

            

   時はすべてを消し去り、すべては時によって老い、時を経て忘却される (アリストテレス

イメージ 2きょうは、つい一月ほど前≪ハリソン・バートウィッスル『Verses for Ensembles』(1969)ほか。60年代のセリエールを基調としてはいるけれど、柔軟かつ生動的な活力を持った情趣豊かな、陰影とメリハリをもつ作品。≫とタイトルして投稿したイギリスの作曲界の重鎮のひとりとされているそのハリソン・バートウィッスルの2稿目。といってもあとはカップリングのアルバム程度で多くを所蔵しているわけではない。ちょうど音源がLPレコードからCDに切り替わる時期までの蒐集音源を取り上げている回顧的音楽ブログではこの程度の所蔵でしかなく、ディスクグラフィーをネットで見ると、蒐集を断念した85年以降に作品のアルバム化が加速しているようだ。それはともかく、この『The Triumpf of Time(for orchestra)』(1972)のアルバム、(時の凱旋(勝利)とでも云った意味なのだろうか)は、A面に収められている作品がアルバムタイトルとなっているのだけれど、その曲はピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude, 1525/30年 - 1569)の画がもたらす<時(間)>のイメージを作曲化したもの。<時>に鷲づかみにされ、<時>に抗うことの出来ぬ有限存在・人間の救い難い虚無を前にした苦悩を音響造形したということなのだろう。終始重苦しい陰鬱を基調として<時(間)>の悪魔的響きが象徴的に滔々と流れて行く。B面にはテープ音楽作品『CHRONOMETER』(1971)が収められており、私にはこちらの方が面白く聴けた。かの有名なイギリスのビッグ・ベン(Big Ben)や、博物館に所蔵されている時計などから、歯車等のメカがつくり出す反復音や、時を告げる鐘の音などおよそ100以上が、コンタクトマイクや普通の集音マイク等で収録されたテープ音源を、電子変形(当時としては先端の試みと思われるコンピュータを使用しての)を加えてリアリゼーションされたもののよし。ノイズ好きには面白い作品に仕上がっイメージ 3ている。時間=時計ではないけれど、かくグチャグチャに入り混じったた模糊たる<時(間)>を生かされているようでなにやら不気味。かつてケージは無響室で自分自身(生理)が発する音を聴き、無音(沈黙)とは音が詰まっていると感得したという話を思い出した。