yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

スティーヴ・ライヒ『Drumming』(1971)ほか。3枚組み。単純音型の反復繰り返し。しかし、すこしのズレの重層複層がつくり出す変化生成の意外性は、退屈を凌ぐに十分なささやかな出来事だ。

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Steve Reich : drumming part 1a detmold

            

《もう一つ、アート全般、そして自然へのアプローチの基本的観念としてあるのが、反復と周期性の問題だ。何かがあるとすると、そのものの順序は反復されなければならない――そのものだけでは有限だからだ。反復するには、コピーをしなければならない。完全に同じか、少し違うコピー。周期性は自然の基本的特徴だ――光、原子、星の一生、銀河の一生はもちろんのこと、遺伝学でもそうだ……そうすると、この周期性、それに忠実な複製、反復という要因から、いかなるゲームが登場するか。――これは、宇宙の全般的在り方、というか宇宙の終わりの在り方につながる問題だ。》

☆――――反復の過程で少しずつ誤差が生じてくる。これがないと、また継続がない。異常発生があるからふつうの発生がある。

イメージ 2上記は、作曲家ヤニス・クセナキスのことば。

生活の条件は繰り返しにある。とはゲーテのことば。

倦(う)まず撓(たゆ)まず日々努めよとは親の教え。


さてところで、これ以上のことばを紡ぎだそうとするが、同じことばの反復、繰り返しに終始する。

生きることとは反復繰り返し。そして、すこしばかりの差異生成。古来より歴史に遺されたことばを堂々巡りするのがヒトの生の実相ということなのだろう。私が考えるようなことは、すでに数千年前の人間が考えていたことと大同小異だ。畏れ多くもギリシャの哲人。中国の孟、老、孔子。よくも飽きもせず相変わらずの人生を語り生きてきたものだ。プラトン以降すべての哲学はそのプラトン哲学の脚注に過ぎないとは、イギリスの哲学者ホワイトヘッドのことば。形而上の哲学はともかく人生いかに生きるべきかなどと云う人生論は、人間が人間である限り、超人というように、その存在構造が変わらない限り堂々巡りでなくてなんなのだろう。反復繰り返しと云うことだ。けれど、その反復繰り返しのうちにしか差異・ズレによる新たな存在生成もありえない。価値生成もありえない。きょう取り上げるスティーヴ・ライヒのミニマルミュージック『Drumming』(1971)ほかを聴いても、まさしく思念印象も反復繰り返し以上ではない。しかし、すこしのズレの重層複層がつくり出す変化生成の意外性は、退屈を凌ぐに十分なささやかな出来事といえよう。アフリカ民族音楽研究と電子機器・テープレコーダー再生音の遅延(delay)のズレがもたらした戦後現代音楽の偉大な?発見のひとつ。シンプルなコンセプトと構成によるスティーヴ・ライヒのミニマルミュージックの典型をこの初期作品を集めた3枚組みのアルバムで愉しむことができる。



Side1-4
「Drumming, part one, part two, part three, part four」(1971)
Side5
「Six Pianos」(1973)
Side 6
「Music for Mallet Instruments, Voices and Organ」(1973)