yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

柴田南雄『柴田南雄の音楽』5枚組み。武満、黛らを代表とする戦後現代音楽の飛躍的発展の礎となって、教育、啓蒙と貢献したその功績聴くべし。

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法政大学アリオンコール萬歳流し(2/2)

              

柴田――歴史主義、といろんな人によく言われましたよね、僕は
徳丸――そうですか。
柴田――曲ではないんですよ。
徳丸――態度がですか。
柴田――様式の変遷を必然的なものと見すぎる傾向があるという意味なんでしょうかね。

                ――音楽芸術・1976年8月号(レコード解説書より)


イメージ 2このことばがきょう登場する柴田 南雄(しばた みなお、1916 - 1996)の評価を良くも悪しくも端的に表すといえようか。だが人は生きた時代の制約を越えられない宿命を持つ。そうだとすれば草創の労苦への敬意は失ってはなるまいと思う。武満、黛らを代表とする戦後現代音楽の飛躍的発展の礎となって、教育、啓蒙と貢献したその功績はおおいに称賛されることだろう。ところで意外?や高橋悠治の師でもある。もっとも音楽での、とりわけ作曲での師弟関係がどれほど濃密な関係にあるのかわからないけれど・・・。クセのある弟子と実直な師。ま、そんなことはともかくレコード5枚組みの『柴田南雄の音楽』がきょう取り上げるアルバム。さすがボリュームありすぎての鑑賞ゆえ、ナガラで聴いたに過ぎない。通して聴いての印象は先の≪様式の変遷を必然的なものと見すぎる傾向がある≫との指摘どおりで、その先端表現様式(=流行)が自ずからのものであるのかどうかの疑念が付いてまわるのも事実だ。そのことを象徴しているのが尾高賞を受賞している「コンソート・オブ・オーケストラ」(1972‐73)だと私には思える。賞を与えられていることから評価は高いのだろうけれど、私には一昔前の1960年作曲の「シンフォニア」の方が、内発的で好感持てるものだった。それと、天与の抒情的感性が生かされて秀作となっているのは、すべて伝統的な素材や、楽器を使っての「徒然草」(1971)や「閏月棹歌~胡弓、三絃、電気音響のための~」(1971)、それに「カドリール<マリンバと小鼓のための>」(1975)イメージ 3などだった。こうした伝統的な音楽のもろもろを繰り込み昇華した傾向の作風には、その柔軟な才が見事に結晶されているように思ったのだった。これらは、ぜひとも聴いていただきたい作品だ。決して小難しい作品ではない。意外な面白さに、私たちに潜在する伝統的感性を思い直すことだろう。幸いにしてタワーレコード特別企画でCD3枚セット2,500円(一枚約800円)にて再発されているそうだ。レコードボックスから収録作品で抜け落ちているのは「オルガンのための「律」」(1977)と「トリプレキシイ(TRIPLEXY)―柴田南雄の三つの時代―」(1978)の2作品のみという、まことにお買い得で提供されている。聴くべしである。



CD1
1. シンフォニア
2. コンソート・オブ・オーケストラ
3. 金管6重奏のためのエッセイ
4. ピアノのためのインプロヴィゼーション第2番
5. カドリール

CD2
1. ソプラノと室内楽のための夜に詠める歌
2. 優しき歌第2~「また落ち葉林で」「朝に」「また昼に」「午後に」
3. 優しき歌~「序の歌」「爽やかな五月に」「落葉林で」「さびしき野辺」「夢のあと」「樹木の影に」
4. 三つの無伴奏混声合唱曲~「水上」「早春」「風」

CD3
1. 徒然草
2. 閏月棹歌~胡弓、三絃、電気音響のための~
3. 萬歳流し


以下は上記レコードのみ収録――

オルガンのための「律」
トリプレキシイ(TRIPLEXY)―柴田南雄の三つの時代―


柴田南雄、投稿済み記事――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/51828712.html 戸田邦雄の『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』(1957)。日本で最初の12音列技法によるヒューマンな響の作品と柴田 南雄の12音列の巧みで余情歌い上げる『北園克衛の・三つの詩』(1954-58)。