yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『ソチエタ・カメリスティカ・イタリアーナ四重奏団』による、ケージ・ショックの応答。新聞を読み、音楽に翻訳して演奏するなどアヴァンギャルドな「弦楽四重奏」作品集。

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Donatoni- Quartet No. 4

           

Franco Donatoni
イメージ 2【「演奏は4種の新聞の見出しの綴りの黙読によって制約を受ける。音はその綴りを読んだリズムにしたがって奏される。演奏に用いられる新聞はその当日のものでなければならず、さらに演奏者の母国語によるものであるのが望ましい。演奏者たちはある特定のページを同時に読みはじめてもよい。見出しの綴りはつぎつぎと断続して読まれる。そのとき、同じページを読み続けてもよいし、何ページかにわたって読んでもよいし、さらに「ダ・カーポ」も認められる。だから、演奏時間は不確定となる。新聞のページをめくるなら、演奏上、短い休止がどうしても必要となる。読み方はどのようにも組織づけてはならない。各奏者はどんな見出しや表示から読みはじめてもよく、お互いは何も関係なく読み続けられる。しかし、見出し、小見出し、本文、説明文等の読み方の戦略には詳細な指示があり、これは守らねばならない。」(フランコドナトニ Franco Donatoni「第4四重奏曲<ツルカドロ>-2つのヴァージョンのための」(1963)のスコアーに付された作曲者のことば)

この文章に続けて四重奏団が、新聞を音楽に翻訳して読む際守るべき、くわしいインストラクションが記されている。】(解説・武田明倫より)

さて、こういうのを読まれてどう思われるだろうか。どんな音がなっているんだろうかと。決して面白くも、美しくもないが、スリリングではある。おしなべてタイトで緊張感が漲っている。現代音楽ファンにとってはこれが堪らない。常識的に云えば奇妙な響きで満ちている。いわゆる俗にいう<美>なんてものはこれっぽちもない。しかしこういう音の世界もあるのだ、あってもいいではないかとの経験を与えてくれる。ウェーベルンを極北にいだく冷厳の美。こういう試みの音を聴くだに、音楽新興国・米国の異端、革命家ジョン・ケージの<偶然性・不確定性>というコンセプチュアルな音楽革命のインパクトが凄まじかったかを思い知る。貨幣を投げて音を決めた最初の偶然性による音楽の「易の音楽」は1951年、かの<音に満ちた沈黙>のパフォーマンス「4分33秒」は1952年であり、ヨーロッパ大陸布教活動のため乗り込んだのは1958年のことだった。そうした時代背景をもつ、当時のアヴァンギャルド弦楽四重奏作品を集めた作品集。



『ソチエタ・カメリスティカ・イタリアーナ四重奏団』

収録作品――

ディーター・シュネーベル Dieter Schnebel
弦楽四重奏のための作品」(1954~55)

クリスチャン・ウォルフ Christian Wolff
「サマー Summer」(1961)

フランコドナトニ Franco Donatoni
「第4四重奏曲<ツルカドロ>-2つのヴァージョンのための」(1963)

ルチャーノ・ベリオ Luciano Berio
弦楽四重奏のための<シンクロニー>」(1964)



関連投稿記事(抜粋)――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/55474324.html ディーター・シュネーベル『Atemzüge』(1970/71)『Choralvorspiel I/II』 (1966/68-69) 。もと牧師の“ポストモダンアヴァンギャルド

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/55090168.html クリスチャン・ウォルフ「Burdocks」(1971)ほか収録の『Christian Wolff』(1971)。アメリカ・アヴァンギャルドの若手揃い踏み。予測し難い、はぐらかすかのような恣意な音響世界

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/55050895.html ケージ楽派?クリスチャン・ウォルフ「LINES for string quartet」(1972)、「ACCOMPANIMENTS for piano」(1972)。簡素で妙に魅力な響き。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/52670874.html ルチャーノ・ベリオの『エピフェアニー、フォークソング』。そのタイトルの語義(「出現」「顕現」)に音楽の「神性」、その超越性を想う。


依然としてGOOGLE検索が不可となっている不具合(原因不明)な自宅ノート・パソコンで作業しているため(なんと不便なことだろう)、いま少しの仕上げは後日として今日はこれで擱くこととしよう。