yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ベラ・バルトーク『ピアノ協奏曲第1・第2番』。このテンションについていくには当方の心の準備を必要とするようだ。

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Béla Bartók: Piano Concerto No.2/1

           

イメージ 2先日のウェーベルンや、シェーンベルクほどには何がなんでもバルトーク(Bartók Béla Viktor János, 1881 - 1945)というわけではない。それはストラビンスキーと相同だ。何だこれはといった印象をもち、時に嫌になったりもする作曲家ではある。ようするに複雑なのだ。たぶん新古典主義音楽に対して(わたしが!)印象するドッチツカズ中途半端がその毛嫌いの要因と思われるのだった。無調不協和音に革新するなら徹底せよということだったのだ。もちろん音楽史に残る決定的傑作を残しているのだから、これは私の偏頗な評断であり、その勝手な思い込みへの指弾は甘んじて受けよう。さて、ところで今日登場するベラ・バルトークの『ピアノ協奏曲第1・第2番』。これもわが町の小さな図書館で借りてきたものだけれど、最初に仕事をしながら聴いたときには、なんとエキセントリックでせせこましい落ち着きのない音楽なんだろうといった印象だった。これは精神病理分析ものではないかだった。(ファンを前にしては言いずらいのだけれど、このことはプロコフィエフにもしょっちゅう思うことだ。イライラするのだ。)ピアノを打楽器的に多用することからの当然の印象なのだけれど。それはエネルギッシュな野生的といってもいい民俗的リズムと旋律のしからしむところなのだろうけれど、洗練に心落ち着けたい時には耳障りなことこのうえないのだ。しかし気分的に高揚し、ハツラツ漲っている時には、このテンションが良く聴こえるのだが。ともかく神経質。容貌からしてそのように印象するのは私だけだろうか。それと、作曲家自身はピアノの名手(教則作品集・ミクロコスモスがあるくらいだから)であったそうだけれど、ピアニストにとって弾くことの愉しさのある作品なのだろうかと思ったりもするのだが。難曲であるらしいことはドシロウトでもわかるのだけれど。ともかくバルトークを聴くときには当方の心の準備を必要とするようなのだ。すくなくとも私にとっては。それと最後に気づいた事ひとつ。「第2番」の第一楽章のピアノソロ、どこかで聴いたような・・・。聴き比べてないので心もとないのだけれど、山下洋輔の音源で聴き覚えがあるといった箇所(もちろん民俗的で強烈なパーカッシヴでのそれで、山下洋輔バルトークを踏んでいても決しておかしくもなく、むしろ当然かも))があったので興味そそられたことを記してこの稿擱こう。





バルトーク関連、投稿済み記事――


http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/48971765.html 民俗音楽・語法からの不況和音の強烈放鳴が不羈なる精神性を強く感じさせるバルトーク弦楽四重奏曲・3番・4番』。