アントン・ウェーベルン『弦楽四重奏曲集』。やはり、なにがなんでもウェーベルンだ。過剰でないのがいい。
Anton Webern: String Quartet, Op. 28 (1938):Lasalle Quartet performs. Art by Paul Klee.
つい先日、図書館のネット借受のブーレーズ揮るウェーベルン管弦楽集を取り上げた。それは初期の作品をメインにしたアルバムだった。≪アントン・ウェーベルン『Boulez conducts Webern, Vol. 2』。師のシェーンベルクから巣立ってゆく時期の作品。甘美で濃厚艶やかなロマンに彩られた響きは壮麗ですらある。≫とタイトルし印象した。で、きょう取り上げるアルバムも同じくネット借受のものであるけれど、こちらは弦楽四重奏および三重奏作品を集めたもの。もう既にウェーベルンの弦楽四重奏作品集はイタリア弦楽四重奏団のレコードで≪峻厳寡黙、冷厳にして張り詰めた美の世界。アントン・ウェーベルン『弦楽四重奏のための緩除楽章langsamer satz』(1905)ほか。≫とタイトルにまとめ取り上げているのだけれど、今回はエマーソン弦楽四重奏団のものだ。これしか所蔵されていないので借りたまでで、いつも云っているように聴き較べの趣味は持っていない。そうしたことは大事なことなんでしょうが・・・。甘味の美しいロマンの匂いのするウェーベルンと言ってこうか。後期ロマン派の香り芬々とする名品『弦楽四重奏のための緩除楽章』(1905)へ引き寄せた演奏解釈のウェーベルンといえるだろうか。私の好きな≪峻厳寡黙、冷厳にして張り詰めた美の世界≫のウェーベルンは此処にはないと云っておこうか。ウェーベルン死後公開された後期ロマン派の香り濃厚な初期作品へと甘く引き戻され聴きやすくなっているぶん親しみをもって聴くことが出来るようになったということなのだろう。これを一般化されたとして喜ぶべきなのだろか。武満徹作品なども没後、時間が経つほどに作品解釈が甘味になってきているのと相同なのだろう。どちらも張りつめた厳しさの面が希薄になってきていると印象するのだけれど。さきのイタリア弦楽四重奏団のアルバムでその初期作品を聴いた印象は以下の如くだった≪ひじょうにロマンティックな後期ロマン派の匂い芬々とする作品『弦楽四重奏のための緩除楽章』(1905)および『弦楽四重奏曲Streichquartette』(1905)があったのか知らんと思うほどの美しい作品に出くわした。およそ後期のあの特徴的な寡黙な音のウェーベルンとはかけ離れた作品である。だが凝縮されてかつ美しい。冗長さがまったく無い美しさである。そうした意味では≪無駄をそぎ落とすという≫過剰を排した切り詰めた厳しさはそこにも見受けられて、ロマンの香りも決して嫌味なものではない≫と綴っていた。今回は、こうした印象をより強く再認するものだったといっておこう。最後にそのときに綴っていた文章の再掲でこの稿擱くことにしよう。≪さてどうでもいい事だけれど、A面のロマン派的香りの濃厚な初期秀作品(=『弦楽四重奏のための緩除楽章』)に、どこかで聞いたようなメロディーがあった。私の空耳かもしれないけれど、NHKテレビの何の番組のテーマ音楽か思い出せないが、加古隆の美しいメロディーフレーズでヒットした作品が浮かび上がってきた。NHK・FM放送の「きままにクラシック」の<どこか似ているぞコーナー>に擬いて三振か、ヒットかホームランかどうかは知らないが。≫メシアンに師事していた加古隆がウェーベルンの影響、それも後期ロマン派の甘美に魅かれて口をついて出たとしてもおかしくはない。