yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ピエール・アンリ『Granulometrie』(1967)。人は斯くまで狂気たりえるのか!・・・そのアーティフィッシャルな音響造形はまことに新鮮でスリリングだ。

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Pierre Henry Eroíca(1950-51)

           

イメージ 2ピエール・シェフェールとピエール・アンリの若きテクノ感性が切り開いた記念碑的ミュジーク・コンクレート音源≫とタイトルし投稿した【ピエール・アンリとピエール・シェフェールによる『一人の男のためのシンフォニー・Symphonie pour un Homme Seul』(1949-50)。】なるミュージックコンクレート黎明期の歴史的傑作があった。今日登場する『Granulometrie』(1967)もそうした趣の狂気と理性のせめぐ様相を提示して見せて驚愕の作品といえようか。一人の男の発する声のエレクトロニク変調によるバリエーション。ここまで狂気たりえるかといった人の声。さきの『一人の男のためのシンフォニー・Symphonie pour un Homme Seul』(1949-50)で述べた次のことばで今回も尽きるといえば尽きるのだけれど、それは以下だった。すなわち≪単純なひとつの、ドアーの軋み音、人の溜め息のバリエーションの音像の果てからやってくる豊穣な意味性が斬新をもたらし、何かを告げるのである。世界がそのバリエーションの果てから現出するのだ。そういえば、レヴィ・ストロースは現代では、音楽こそが神話の役割をもっていると言っていたのを今思い出した。精緻極まる細密描写がその物体の意味(現実性)を崩壊せしめ、次元の違った抽象的意味世界をその<もの>に付与してあらわれる不思議さは、顕微鏡内の極微世界を例えれば分かろうというものだ。原寸での視認識の意味世界とはまったく違った世界がレンズの向こうからやってくる事だろう。≫こういうのを音による認識の革新、その音連れ、提示の試みといえるのだろう。人は斯くまで狂気たりえるのか!・・・いや、人は斯く在るのかもしれない。そのイメージ 3アーティフィッシャルな造形はまことに新鮮でスリリングだ。(<意識化の秘められた世界>のアートフィッシャルな音連れを、ピエール・アンリの精緻のブリコラージュで聴く『VARIATIONS POUR UNE PORTE ET UN SOUPIR』(1963)。)