フランシス・プーランク『ピアノ作品集』。吉田秀和(1913‐)がなぜに今プーランク!ということで、遠ざけてきたこの作曲家のお勉強。
きょうはチョットお勉強ということで、フランシス・プーランク(Francis Jean Marcel Poulenc , 1899-1963)。最近、吉田秀和が、どういう目論見でかNHK・FMの「名曲の楽しみ」という番組で<プーランク その音楽と生涯>と題して長期にわたり連続してプーランクの作品を取り上げ放送している。べつに継続して熱心に聴いているわけでなく、たまにタイミングよく耳に入ってくる部分を細切れ中途半端に聴いているだけでしかないのだけれど・・・。どういう理由でプーランクを取り上げているのだろう。私自身、かれらフランス六人組みと称される作曲家たちにはトント波長が合わず今まで遠ざけてきたのだけれど、ようするに面白くないというアホみたいな単純な理由でなのだけれど。おなじく新古典主義の作曲家たちもそうだ。おしなべて何ナノこの中途半端さは!ハッキリせいといった印象だった。今でもそれは変わりないが。軽妙洒脱?そう言われりゃそうかもしれないけれど、たんに思想が無いだけじゃないの。いや、それ(思想的営為)を放棄しているだけではないの。また、それに脈絡の無さ。≪脈絡のない多様な楽句を楽しみながら連結させることによってただ先へと曲を進めるのも彼の作品にたいへん多く見られる手法であるが、逆に、主題や素材を展開させながら知的に構築することは非常に苦手とされる。≫(WIKI)と、斯く指摘されるまでもなく、こうしたことはつねに感じることだったが。なにか、精神の病、観念(思考)奔逸とでもいいたくなるような、まとまりの無さ。脈絡の無さ。これを軽妙洒脱というか・・・等々。しょうじき斯様な思い込みを刷り込ませた作曲家(たち)だった。ということで、大評論家・吉田秀和(1913‐)がなぜに今プーランク!ということで、たまたまわが図書館に新しく所蔵されて(予算・税収不足の折なのに)棚に置かれていたので借り受けてきた。はたして先の思い込みは覆されるのだろうか。
『プーランク:ピアノ作品集』