yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

岩波文庫の名句365を収めた『ことばの花束』。150円のアンチョクな読書。

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きょうは、アンチョクな読書で音楽ブログは休憩です。
アフォリズム箴言集の類と言ってもいいのだろうか。岩波文庫の名句365を収めた『ことばの花束』より。古本屋で150円の購入。こういう名文名句というのはそのとき多いに感心し、考えることのきっかけを少しばかりは与えてくれそうなのだけれど、実際に当の書物を一巻紐解いて読破読了して心底から感じ入り得た名文名句ではないので、こうしたアンチョクな仕込みゆえかすぐ忘れてしまうものだ。知らないよりはまし程度で、備忘録としてピックアップして若干を引用貼り付けてきょうは草々に擱こう。
先ずは、

「世界は偉人たちの水準で生きることはできない。」
政治家、歴史家のことばと思いきや社会人類学の傑物フレイザー金枝篇』よりとある。

「妻は青年の恋人、中年の話し相手、老年の看護婦である。」
「知は力なり」のベーコン『随想集』よりのことば。

「女と申すものは、下着とともに、恥じらいの心をも脱ぎ去るものでございます。」
フランスの作家とおもいきや、このことばはヘロドトスの『歴史』にあるそうだ。

「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である。」
だから、制御する統べなく破滅的事態を性懲りもなく人類は繰り返す。一個人の良心と、集団の狂気。直近でも、その鼻つまみ集団の事例はある。

「鳥の歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、無頓着な人間の粗雑な耳だけのことです。」
なんと社会主義革命闘争に散った女性革命家・ローザ・ルクセンブルクのことばのよし。『獄中からの手紙』

「人は、青春のあやまちを老年に持ちこんではならない。老年には老年自身の欠点があるのだから。」
すべてを言い尽くしているの感があるゲーテのことば『ゲーテとの対話』(エッカーマン)。

「沈黙しているとき私は充実を覚える。口を開こうとするとたちまち空虚を感じる。」
魯迅『野草』。暗愚の現実と理念の乖離。斯くなる絶望の対峙のありや。同じ魯迅のことばに
「希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」『阿Q正伝・狂人日記』と言うことばがあった。

「苦労が人間をけだかくするするというのは、事実に反する。幸福が、時にはそうすることはあるが、苦労はたいてい、人間をけちに意地悪くするものなのだ。」
サマセット・モーム『月と六ペンス』。艱難汝を玉なしにするとは作家・古山 高麗雄(ふるやま こまお)のことば。

「子孫のために計画を立てる場合、美徳は相続されないということを忘れてはならない。」とはトーマス・ペイン『コモン・センス』のことば。

「人間のすることでなにひとつえらいことが、ありうるものか。人間そのものがすでにえらくも、たっとくも、ないのだ。」『啄木・ローマ字日記』
救いのない踏んだりけったりのままならぬ人生、じっと掌を見る啄木のことばなら納得か。

「音楽について話す時、一番いい話し方は黙っていることだ」
シューマン『音楽と音楽家』よりのことばだそうだ。ことばに言い尽くせない感動とは至高の芸術を前にした時の言い古されたことばだ。だが、本等か?この芸術の、美の神秘化が曲者だ。ことばに出せない感動とは実在するのか?わかち合う感動、ともに味わう感動にことばは不要か?ことばに対象化できない感動とはほんとうに実在するのだろうか。ことばには出ないけれどすべて分かっているのだ、感得したのだと云う・・・、これらはたんなる自惚れた全能感、勝手な思い込みのしからしむるものといえないだろうか。
この感動をことばで伝えられない、表現できないのがもどかしいといわれる。けれど、そのたぐいの感動とは、コトバにできない感動とはほんとうに実在するのか、在ったのか?
たしかに感動はことばを生み出す。そしてその対発生したことばとともに、感動は神秘化される。


ツラツラと考えた150円のアンチョクな読書だった。