yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

マウリシオ・カーゲル『16人の声のための《ハレルヤ》 (Hallelujah)』(1967)ほか。哀しいまでの音楽解体。音楽以前への差し戻し。世も末じゃ~。これは狂気か?正気か?

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≪ハレルヤ、アリルイヤHallelujah・・・とは、ヘブライ語由来の言葉で、「主をほめたたえよ」の意≫(WIKI)だそうだ。きょう取り上げるマウリシオ・カーゲルの合唱曲『16人の声のための《ハレルヤ》 (Hallelujah)』(1967)、それとディーター・シュネーベルの合唱曲『Für Stimmen (...Missa Est)』(1956-68)の2作品が収録されたアルバム。たぶん聴けば、もう世も末じゃ~とのつぶやきが出てきそうな作品だ。とりわけカーゲルの合唱曲「ハレルヤ (Hallelujah)」がすさまじい。これこそ紹介音源のないのがもどかしい。整除洗練された楽音としての発声からは程遠いさまざまな俗っぽい日常の人声(赤ん坊の泣き声や、嘆きの声やらヨーデルのような音声やら、精神に異常をきたしたものの如くの声やらの断片と、まともなコロラトゥーラの女声やらのゴタマゼの狂気じみた「主をほめたたえよ」のハレルヤコーラスなのだ。俗塵から浮かび上がる一瞬の聖性と言いたいところだけれど、むしろ、もの哀しさがじんわりと迫ってくるのだ。ディーター・シュネーベルの「Für Stimmen (...Missa Est)」なども、もはや神に見放された人間の精神の荒涼としたさまをダイレクトに歌い上げている、いやつぶやいているかの如くだ。歌となる以前の人間感情のさまざまな声を伴う表出のオンパレード。確かに人間の発する声という声すべては<音>ではあるけれど・・・パッチワークの素材のごとく意味性剥奪された声たち。まったく哀しいまでの音楽解体。音楽以前への差し戻し。まさに、冒頭に言った、世も末じゃ~。これは狂気か?正気か?。



Mauricio Kagel / Dieter Schnebel - Hallelujah / Für Stimmen (...Missa Est)

Tracklisting:
A. Mauricio Kagel「Hallelujah」(1967)

B. Dieter Schnebel 「Für Stimmen (...Missa Est)」(1956-68)
B1. Dieter Schnebel
Dt 31
B2. Dieter Schnebel
AMN
B3. Dieter Schnebel
! (Madrasha II)

http://www.ubu.com/film/kagel.html 16人の声のための《ハレルヤ》 (Hallelujah):映画ヴァージョン視聴サイト

参考――
http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic026/pdf/104-117.pdf 架橋される60年代音楽シーン(磯崎新一柳慧