yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

マウリシオ・カーゲル『3人の奏者のための≪試合≫』(1964)。『ルネサンス楽器のための音楽』(1965-66)。音楽での試合?丁々発止、インタープレイが緊張感があって面白いといえばそうなんだけれど。

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Mauricio kagel : match(映画バージョン)

           http://vimeo.com/moogaloop.swf?clip_id=1768291
           kagel : match (1 of 2)(YOUTUBE動画)
           追記:sek*nem*j*さんよりご教示いただきました≪試合≫の楽譜サイト

イメージ 2さて、きょうは一週間ぶりに特別アヴァンギャルドなマウリシオ・カーゲルの登場。前回は≪マウリシオ・カーゲル『16人の声のための《ハレルヤ》 (Hallelujah)』(1967)ほか。哀しいまでの音楽解体。音楽以前への差し戻し。世も末じゃ~。これは狂気か?正気か?≫と嘆息したものだった。今度の『3人の奏者のための≪試合≫』(1964)も前回同様ナンデスカネーのつぶやきが口をついてでてくる作品?だといっておこうか。ただしB面の『ルネサンス楽器のための音楽』(1965-66)は古楽器のもつ音色の特異性の実現をねらった作品で、これはひじょうにスリリングで面白かったといっておこう。古楽器によるあたりまえなパフォーマンスで終わっていないのが奇矯奇人のカーゲルにふさわしく斬新で魅力的な音色、響きの音楽世界を作り出している。これはお見事といっていいだろうか。もし音源、動画があればこちらの方を取り上げ、ともに鑑賞し愉しみたいのだけれど残念。さてさて問題の、A面「3人の奏者のための≪試合≫」(1964)だ。音楽、演奏上での≪試合・MATCH≫とはなにか?なにを争うのだろうか。音楽史上初の≪試合≫は、この前年1963年のイアニス・クセナキスによる≪ゲーム理論を応用して作曲された≫といわれている「2群のオーケストラと2人の指揮者のための戦術《Strategie ストラテジー》」なるものだった。これは≪武満徹(1930)と一柳慧(1933)の企画構成による音楽祭・「オーケストラル・スペース1966」(列をなすほどの観衆で熱気に包まれていたそうである)の『オーケストラル・スペース1966 VOL.2』と銘打たれたアルバム」≫に1966年5月の日生劇場での小澤征爾若杉弘の両指揮者と読売日本交響楽団による<試合>が収録されている。このとき若杉弘が勝ちを収めたそうだけれど。そもそものゲームの内容、なにを勝負するのかが私には詳らかではないので、勝ったから音楽がどうなの、負けたから音楽がどうなの、勝負つかずでは音楽がどうなのとわからずじまいだったけれど。勝った音楽、負けた音楽、引き分けの音楽。何なのですかねこれは。きょうの、カーゲルの「3人の奏者のための≪試合≫」は、2人のチェリストと14種類の打楽器を使う審判役である打楽器奏者との計3人による≪試合≫。つまりは三人による不確定の即興演奏をその内実とするということのようだが。その丁々発止、インタープレイが緊張感があって面白いといえばそうなんだけれど・・・。それを≪試合≫と称してパフォーマンスする・・・。勝ち負け(?)が演奏の質を左右するのかしら。再度言おう、何なんでしょうねこれは。悩ましいことではある。



マウリシオ・カーゲル Mauricio Kagel
『3人の奏者のための≪試合≫ Match Für 3 Spieler』(1964)
ルネサンス楽器のための音楽 Musik Für Renaissance-Instrumente』(1965-66)

Tracklisting:
A. Match Für 3 Spieler
Cello - Klaus Storck
  Siegfried Palm
Percussion - Christoph Caskel
Other [Artistic Supervision] - Mauricio Kagel

B. Musik Für Renaissance-Instrumente
Conductor - Mauricio Kagel
Orchestra - Collegium Instrumentalis


参考追記――

I・クセナキス『2群のオーケストラと2人の指揮者のための戦術《Strategie ストラテジー》』(1963)

【この作品は、Strategie Musicale=音楽の戦術とよばれる方法をこころみたイアニス・クセナキスIannis Xenakisuの異色ある作品である。

イメージ 3まず演奏会当日のステージのスケッチからはじめよう。舞台には44名づつのオーケストラが向かいあって並んでいる。向かって左側のオーケストラには小沢征爾、右側には若杉弘――というように、それぞれ指揮者がいる。そしてどちらの指揮者も、クセナキスの作曲した7種類の音響構成からひとつをえらびとって演奏をはじめる。これらの構成はスコアの中にⅠからⅥまでの番号をうたれて(沈黙は0番号とする)、戦略と名づけられている。この7つの戦略は、それぞれストカスティック(推計学的)な音響構造つくりあげるいわばパート譜として、統計力学的に作曲され、パリのIBM電子計算機7090をつかってつくられた。この7つの基本戦略の種別は、0……沈黙、Ⅰ……管楽器、Ⅱ……打楽器、Ⅲ……弦楽器の胴体を手で叩く、Ⅳ……弦楽器による点描奏法、Ⅴ……弦のグリッサンド、Ⅵ……弦のフラジオレットの保持者。

この演奏では、百円銀貨の投げ上げによって先攻権をとった小沢が、まず自分のえらんだ戦略をグループの奏者に示して、演奏がはじまった。(この合図は、奏者たちのまえにおかれているいくつかのランプの点滅で示される。)これに対抗して、若杉がランプのスイッチを押し、えらんだ戦略を示すと、強烈に演奏をぶつけていった。舞台の奥にはさらに電光掲示板によるスコア・ボールドと、得点を電子計算機によって計算する数人のキーパンチャー、つまりレフリー(審判員)がいる。作曲者はあらかじめこの基本戦略の組み合わせのひとつひとつに、点数をわりあてている。だから指揮者のえらんだその組み合わせは、すぐさまスコアーキーパーによって、この電光掲示板に得点数として表示され、加算されていく。
つまりこのように、2つのオーケストラのティームによって、音の戦略のかけひきを競うゲーム、この<戦術>という作品なのだ。聴衆はその2つのオーケストラの試合に立ちあい、偶然におたがいの戦略が組みあわさって生み出されていく音楽をきくわけである。この戦略の組み合わせの数は、13のコンビネーションと単独の基本戦略7つ、計20が存在する。各指揮者がこの20ずつの戦略の組み合わせを持っているから、その結果20×20=400の同時演奏のヴァラエティが生み出される可能性があるわけである。

この演奏会では3回音楽ゲームがくりかえされたが、このLPではそのうちの第1・2回のみが収録されている。(第2回目は、交代して若杉が左側のオーケストラを指揮している)。この結果、両回の試合の戦術は、ともに若杉弘勝利者になった。しかしクセナキスはいっている。「負けた指揮者は勝ったものに比べて劣っているとは、ぜったいに考えてはならない。ここがこの音楽(芸術的)ゲームを、その定義から、スポーツ競技やトランプ・カードのゲームと根本的に区別するものである。勝利者は、単に作曲者の提示したゲームの規則によりよく従ったために勝ったにすぎないのだ。そして作曲者は、結果として、2人の指揮者の連帯による彼の音楽の“うつくしさ”、あるいは“みにくさ”の責任を引き受けることになるのである」】(秋山邦晴・「オーケストラル・スペース1966Ⅱ」レコード解説より)