yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

シュトックハウゼン『3つのオーケストラのための<グルッペン>』(1955‐57)と『4つのオーケストラと4つの合唱のための<カレー≫』(1958-59)。内的体験としての永遠の今を聴く。

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Stockhausen: Gruppen (1 of 3) Karlheinz Stockhausen Gruppen, for three orchestras (1955-57)

            

イメージ 2やはりこの50年後半から70年へかけてのシュトックハウゼンはすごいですね、とひとまず賛仰のことば奉っておこう。きょうは『3つのオーケストラのための<グルッペン>Gruppen fur 3orchester』(1955‐57)と『4つのオーケストラと4つの合唱のための<カレー≫Carre fur 4Orchester und 4Chore』(1958-59)。
このシリアスな緊張感に満ちたダイナミックレンジな響きの時空体験は言いようもなく刺激的で官能的であるといっておこう。楽聖ベートーヴェンの傑作の森ではないけれど、この豊穣の年代の、生気漲り溌剌としたシュトックハウゼンの作品群はぜったいに聴くべきであると言い募っておこうか。スリリングな音の体験すること請け合いだ。間違いなく今後音楽史上に燦然と輝く名作古典として名を刻み込むことだろう。ストーリーが、メロディーが、起承転結があるわけではない。だが、ここで音を聴く、響きに耳そばだてるとは、この今、この一瞬を生きることであると知るだろう。現在を切実とする。永遠とする。過去から未来へと流れる時間相に楔を打つ。
この時期シュトックハウゼンが探求した「空間音楽」、「モメント形式」の論理思考の背景には上記のごとくの垂直時間としての現在の永遠性への希求。多くの可能性としてある現在を生きる経験としての音楽、その提示という目論見であったのだろう。明確な思想、論理に裏づけられた音楽。
「この作品はいかなる物語も語らない。だからこそ、いかなる瞬間も、即自的なものとして存在することができる。この音楽を迎え入れようとするなら、聴き手は自らを「開かれた」状態におかねばならない。変化の大部分はきわめて徐々に音の「内部」で起こる。この音楽がいくばくかの内的静寂、広がり、専心をひき起こすことを、つまり、われわれは時間に身をゆだねきってしまうときこそ多くの時間を体験するのだ、という意識をひき起こすことを私は願っている。」(シュトックハウゼン・初演プログラムより)


収録曲――
『3つのオーケストラのための<グルッペン>Gruppen fur 3orchester』(1955‐57)
『4つのオーケストラと4つの合唱のための<カレー≫Carre fur 4Orchester und 4Chore』(1958-59)


参考――
http://www001.upp.so-net.ne.jp/kst-info/linerNotes/CD05/Gruppen.html 「グルッペン」ライナーノート



ヘルムート・ラッヘンマン
磯崎 新
浅田 彰
長木誠司
Helmut LACHENMANN, ISOZAKI Arata,
ASADA Akira and CHOKI Seiji