yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ『交響曲第9番(混声合唱と管弦楽のための)』(1997)。ともかく厚みと深みをもった、感嘆のオーケストレーションで唸らせはする・・・が。

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Hans Werner Henze: Sinfonia No.9 (1995/1997) Primo Movimento

          
この曲は、若き日の私が見てきた第三帝国時代のドイツをテーマにしています。歴史的事件をとりあげたという点でも芸術的な試みという点でも、このテーマに数年間かけて徹底的に取り組んだことは今までにない経験でした。この曲は恐怖と悲しみの極致を表現したものです。一言でいえば私の音楽の集大成であり、私たちを突然襲った独裁的で前の見えない悲惨な状況を音楽という形に昇華させたものです。この曲には喜びや輝きの歌はありません。あるのは恐怖と迫害、今日にまで影響を与えている暗黒の世界の描写です。ナチとその凶暴な治世に抵抗し命を投げ出してまで自由を手に入れようとした人々をたたえること…これがドイツの真実を描くにあたっての私の最大の願いでした。(ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、CD解説冊子より)
イメージ 2上記は、きょうのこのヘンツエの作品『交響曲第9番(混声合唱管弦楽のための)』(1997)の作曲にいたる背景ということだ。私は、スポーツの試合で勝ち負けのしのぎをけずるような、よくいう心臓が口から飛び出すようなシビアーな極限体験などもったことはないのだけれど、<力む>と普段の実力が発揮できず、思いのほかの結果に終わるとはよく言われる。実際そのようだが。この意気込みじゅうぶんなヘンツェの大作を聴いていて、こうしたことばが口をついて出てきたのだった。ひと月ほど前≪ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ『交響曲第7番(1983‐4)&舟歌(1979)』(1993)。先鋭性はうすれはすれどスケールに磨きがかかり、重厚豊麗な音を保守的彩りで絢爛と響かせている≫と印象つづり投稿したのだけれど、今回も≪先鋭性はうすれはすれどスケールに磨きがかかり、重厚豊麗な音を保守的彩りで絢爛と響かせている≫という基本的な印象は変わらない。ともかく凄い厚みと深みをもった、感嘆のオーケストレーションで唸らせはする。けれどイマイチこちらに、ハートに食い込まないのだ。切実が届いてこないのだ。そうなのだ、<力>が入りすぎ、いわゆる<力み>で≪思いのほかの結果に終わ≫ているのだ・・・と言っておこうか。たぶん誰しもが印象し上げつらうだろうパイプオルガンの荘重が鳴り響く「第6楽章<大聖堂の夜>」などはには圧倒される。およそ50分を、太く繊細かつ深い響きのオーケストレーションで引っ張ってゆく力技手練のほどは・・・やはりヘンツェ、と言うべきか。
きょうも図書館のネット借受のCDで鑑賞させてもらった。



Hans Werner Henze - Requiem (2. Dies irae)