yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ジェイコブ・ドゥラックマン『Animus III (For Clarinet & Tape) 』ほか。この60年代と米国と云う時代的文化的制約を考慮しても良くできた電子音響作品となっている。

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Jacob Druckman: Animus III, per clarinetto e nastro elettronico (1968)

               

イメージ 2だいぶ前のことになるけれど、拙ブログにて≪(1) 『THE AVANT GARDE STRING QUARTET in the USA』。聴きものです。再発、廉価NAXOS盤にあり。≫とタイトルして取り上げた中に、きょう取り上げるアメリカの現代音楽作曲家ジェイコブ・ドゥラックマJacob Druckman (1928 – 1996)<ちなみに黛敏郎(1929 - 1997)とほとんど同時代の音楽生活だ>の作品が収録されていて、その鑑賞記を以下のごとく綴っていた。

【さていよいよ、最後の3枚目SIDE6までやってきた。ジェイコブ・ドゥラックマン Jacob Druckmanの作品『String Quartet No.2』(1966)。その昔、手に入れ鑑賞してどのような印象をもっていたのかまったく記憶にないけれど、意外に素晴らしかった。ハッシとしてハツラツとした印象であった。若気の至りで極端、過激ばかりを好んで聴いていたのでたぶん舌打ちでもして聞き流していたのだろう。経歴を見るとやはりヨーロッパ系の作曲家に師事している良質が如実と言った印象である。極端な特殊奏法をつかって粋がるような、これ見よがしは無いけれど、東部アカデミズムの古臭さはあまり感じさせない。しなやかさを具えているということなのだろう。】

いつもアメリカ・アカデミズムとりわけ東部アメリカのそれを保守的との風評?に軽々に乗っかり口にもし遠ざけてきたのだけれど、しかしながらわずかだけれど幾枚かのレコードが所蔵されており、放っておくのも勿体ないので意を決しとりあげた。でないと片付かない。きょうのドゥラックマンのこの作品集に収められている2作品とも前もって制作(Columbia-Princeton Electronic Music Center)用意された電子音楽とソロイストとの対話的交感のパフォーマンスといった趣のもので、60年後半のものとしてはひじょうに良くできているといっていいと思われる。対話的交感といっても、たんに場に臨んで一方的に流されている電子音とのそれではなく、奏者がフィードバック等の選択余地を持ちつつの交感的パフォーマンスのよし。ともかく、この60年代という時代的制約と米国と云う音楽文化での後進性というのを考慮してもひじょうに良くできた電子音響作品となっており、チョッピリ見直しましたといったところだ。こうなるとアメリカ・アカデミズムへの前々からの思い込みも洗い直して所蔵アルバムを聴きなおす必要がありそうだ。そう思わせるにたる作品だった。斯く期待に違わぬアメリカ・アカデミズム作曲家との出会いを残りの所蔵アルバムで望むとしよう。




『Jacob Druckman作品集』(1971)


Tracklisting:

A. Animus III (For Clarinet & Tape) (15:39)
B. synapse Valentine (For Electronic Tape & Contrabass) (18:21)



Valentine de Jacob Druckman par Nicolas Crosse




http://artofthestates.org/cgi-bin/composer.pl?comp=77 Art of the States: Jacob Druckman ジェイコブ・ドゥラックマンの公開音源サイト(3作品全曲聴けます)