yuki-midorinomoriの日記

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アルバン・ベルク『ヴァイオリン協奏曲、室内協奏曲』。なんともロマン主義的絢爛に彩られた<革新>!?音楽だこと。

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Alban Berg - Concerto pour violon (Suwanai & Ashkenazy) 1

           

サッカーファンとして、まず取りあえずは我が日本がワールドカップ南アフリカ大会出場を決めたことをともに慶びたいと思う。予選を戦い抜いた選手それぞれが本大会選手選考まで怪我無く、ますますの精進のうえ本大会に選ばれ活躍されんことを祈りたく思う。くれぐれも、北京五輪の時のように、怪我によるやむなき事情以外で、共なる予選を戦わずしてのメンバーを本選に選ぶような反町代表監督のごとき功をあせっての愚を犯さないことをのぞみたい。一勝も出来ずの予選敗退の最大の過ちはこの点だったと私はいまだに思っている。大事なことは、技術以上に共なる戦いの意志だ。
さて、本題の音楽。きょうも図書館のネット予約で借り受けたアルバムを取り上げよう。アルバン・ベルクの傑作にして死の直前に書き上げられた「ヴァイオリン協奏曲<ある天使の思い出に>」(1935)と「室内協奏曲<ピアノ、ヴァイオリンと13楽器のための」(1923-5)の2作品が収められたもの。なんともロマン主義的絢爛に彩られた<革新>音楽だことといった印象を抱かせる作品だ。ベルクは友への手紙に【「我々はまさに度し難いロマン主義者であり続けるのです。私の新しい≪ヴァイオリン協奏曲≫は、そのことを再び確信させます。」】(CD解説書/コリンナ・ヘッセより)十二音列主義はウタゴコロ、メロディー形成でその威力を存分に発揮した、つまりはベルクの音楽美質を最大限に磨き上げる素地となり寄与したと云えるのだろうか。それにしても、妖しいほどのこの美しさ。それを死への意識と結びつけるのも作曲家の資質もさることながら時代背景からすれば肯けないこともないが・・・。この妖しいまでの美意識はとまどわせる。といいつつも、どちらかといえば私は世に名高いこの「ヴァイオリン協奏曲<ある天使の思い出に>」(1935)よりも、「室内協奏曲<ピアノ、ヴァイオリンと13楽器のための」(1923-5)のほうを好みとする。なぜだろう。たぶん<死>より<生>への明るさか?救いか?【「友情、愛情、世界」の三者が音楽化された】(同上)とされる「室内協奏曲」。この曲中バッハのカンタータ≪おお永遠よ、いかずちの声よ≫BWV60のコラールの旋律が組み込まれているとのこと。以下そのベルクが用いたバッハのコラールの歌詞(解説より)――

   十分です!
   主よ、御心にかなうならば、
   どうか私をお召しください!
   私にイエスがやって来ます――
   さようなら、おお世界よ!
   私は天国の住まいへ行きます。
   私はきっと安らかにそこに行きます、
   私の大いなる悲嘆は下界に残るのです。
   十分です。
   十分です。


アルバン・ベルク『ヴァイオリン協奏曲、室内協奏曲』

1. 「ヴァイオリン協奏曲-ある天使の思い出に」(1935)
2. 「室内協奏曲-ピアノ,ヴァイオリンと13管楽器のための」(1923-5)


アルバン・ベルク投稿済み記事――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/59625128.html アルバン・ベルク『初期の7つの歌(1928年管弦楽版)』ほか。ロマンの絢爛に彩られた音楽。その芳醇な美しさを思い知らされる。


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