yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ヨハン・セバスチァン・バッハ『マタイ受難曲』LP4枚組み。音楽史上の奇跡、鳥肌立つ感動ものの究極の一枚。

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   あまねく世界に神は存在し
   あまねく音楽にバッハは存在する
              アルフレート・シュニトケ

Bach - St. Matthew Passion BWV 244 (Karl Richter, 1971) - 1/22

            

「神を讃えることを唯一の目的としないすべての音楽は、音楽ではなくて混沌であり悪魔の騒ぎにすぎない。」(J・S・バッハ)
「私達が一日一日を平穏に暮らしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人間が密かに自己犠牲を捧げているからだ。」  タルコフスキー

鳥肌が立つという感動表現があります。まさに、きょう取り上げるヨハン・セバスチャン・バッハの『マタイ受難曲』LPレコード4枚組みこそが、その感動を与えてくれた一枚だった。モーツァルトの「レクイエム」もそれに劣らずの感動ものの一枚ではあったけれど。だけど、およそ3時間超という長時間の作品を聴き、イエスの受難、終結とともに鳥肌が立つ感動を味わったのはこの『マタイ受難曲』をおいて他にないといってもいいくらいに、私にとっての長い鑑賞歴のなかでの頂点だといっていいだろう。大仰かもしれないけれど、音楽史上の奇跡とはこの『マタイ受難曲』こそがふさわしいと私は思っている。いやキッパリ断言しておこう。拙音楽ブログの書庫トップがあまたの音楽のなかバッハであることも、この私の思いを証してもいよう。この一曲!とは、バッハであり『マタイ受難曲』と言い募っておこう。であればこそ、バッハ・オマージュにふさわしいコトバイメージ 2を紡ぎだし、綴るべきなのだけれど、あまりに畏れ多くて、長時間の鑑賞に浸り身をあずける以外に成すことあたわずで、ろくな言葉も出てこない。かっこよく言えば、いつの日かやってくるだろう拙ブログを締めくくる最終投稿記事としたかったところなのだけれど・・・。わが武満徹は作曲に取り掛かるまえに、『マタイ受難曲』の一節をなぞるのを慣いとしていたとか。それに、もう復帰することかなわぬ重篤な病の床に伏していた時、おりしも窓外の雪降り積もるなか病室のラジオから流れてきたのは『マタイ受難曲』であったそうだ。(亡くなる2日前に偶然FM放送で「マタイ受難曲」を聞いた・・・
おこがましいことではあるけれど、私にとっても究極の一枚は『マタイ受難曲』。
ただ、こんな、なにも言ってないに等しい駄文投稿で讃叶わず終えなければならないのは『マタイ受難曲』を汚すようでじつに情けないことなのだけれど。


これはごく私的なことですが、僕は新しい作品を書くときに、いつもバッハのマタイ受難曲を聴いてから取りかかるんです。一種禊(みそぎフような──。(武満徹

【――それが2月19日ですね。

武満 そうです。夕食が運ばれてきて起きようとしたら、からだに力が入らなくて「あれ」って怪訝そうな顔をしました。私が手を貸そうとすると「君の力じゃ無理だよ」って言って、ベッドの枠や点滴の棒につかまって独りで起き上がり、椅子にきちんと坐って、「おかゆが美味しく炊けてるんだよ」と言って小さなどんぶり一杯ほとんど頂きました。じゃあ、また明日ねと言ってさよならしてきたのですが、翌朝5時頃、病院から電話があり、容態が急変したというので駆けつけたのですが、その時はもう意識もはっきりしていませんでした。
それ程調子も悪いようにはみえませんでしたし、その前17日は、珍しく東京は夕方から雪が降り始め明日は大雪になるかもしれないという予報だったので、私の足を案じた徹さんが来なくていいと言うので、私も少し疲れていたので、ひさしぶりに一日休ませてもらいました。

――それが18日のことでその前日17日の夜、東京は雪が降ったんですね。

武満 そうです。それで徹さんはたまたまNHKのFMで≪マタイ受難曲≫を全曲聴いたのです。とても不思議な気がしますね。雪のため、私も見舞い客もいなかったので静かに横になりながら、大好きな≪マタイ受難曲≫を聴けたんですから。

――マタイ全曲のプログラムをFMでやることは滅多にありませんし。雪が降って、自動車の音もしない、きっと静かな心境で聴けたんでしょうね。

武満 雪の日ってなんかしーんとして静かですものね。19日に行った時、「昨日は≪マタイ受難曲≫を全部聴いたんだよ。いやぁバッハはすごいね。僕らはクリスチャンじゃないけどなんなんだろう……」ってそれは静かなおだやかな表情でした。
 今まであまり考えないようにしていても、どこかで自分の病気の深刻さはもう、その時は分かっていたと思います。
 私は想像するだけですが、≪マタイ受難曲≫を聴くことで、もう自然のままに安らかに大いなるものに生命を委ねる心境になったのではないでしょうか。きっと静かに旅立って行くための道しるべになったような気がしてなりません。私は何か深い恩寵のようなものを思わずにはおられません。】

        (武満徹全集第5巻付録・編集長インタヴュー「武満浅香さんに聞く」より)

イエス・キリストの受難劇という宗教的なテーマを扱い、管弦楽に声楽を加えた編成である。規模の大きさ、劇的な構成力、宗教的な精神性の高さにおいて、まさに特筆の作品である。」(通販サイトのレヴューよりのことば)

まさにそのとおりだ。



Bach - St. Matthew Passion BWV 244 (Karl Richter, 1971) - 22/22



J.S..バッハ《マタイ受難曲》第2部全曲 カール・リヒター(1958)