yuki-midorinomoriの日記

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リュック・フェラーリ『Und So Weiter (1967)/ Music Promenade(1969)』(1969)。クソ真面目でないチョットはずれた逸脱のスタンスが斬新。

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Luc Ferrari - Music Promenade (1969)

            

≪世界とは、私が思惟しているものではなくて私が生きているものであって、私は世界へと開かれ、世界と疑いようもなく交流しているけれども、しかし私は世界を所有しているわけではなく、世界はいつまでも汲みつくし得ないものなのだ。「一つの世界がある」とか、あるいはむしろ、「世界というものがある」とかという――こうした私の生活の恒常的主題をば、私は全的に合理づけることはけっしてできないものだ。世界のもつこうした事実性(偶然性)こそ、世界の世界性をつくっているもの、世界を世界たらしめているものであ≫る。(モーリス・メルロー=ポンティ『知覚の現象学』

きのうはリュック・フェラーリのアルバムを取り上げたのだけれど、その拙い記事をしたためている間なにか忘れ物をしているような、居心地の悪さを感じていたのだった。というのも、すでに投稿済みと思っていたアルバムなのに、念のためとブログ内検索してみてもヒットせず、行方不明で参照もできずもやもやが晴れなかったのだ。そのアルバムとはジャケットデザインの強烈なタイポフェースでひと際目を惹いたドイツ・ヴェルゴ盤のものだったのだ。それにはきのうの「ソシエテⅡSociété II」とコンセプトの似ている傑作?名作の「Und So Weiter(pour piano electrique et bande magnetique)」(1967)と、フィールド・レコーディングの採録音源を使ってのテープ(編集)音楽「Music Promenade」(1969)が収められているアルバムなのだった。で、レコード棚をまさぐっていたら、どこで間違ったのか投稿済みの棚のところに仕舞いこまれていたので手に取り再度針を落としてみた。
これはまぎれもなく音楽史に残る<傑作?名作>といっておこうか。クソ真面目イメージ 2でないチョットはずれた逸脱のスタンスが斬新だ。この刺激的な音の出会いと炸裂は≪モンタージュ、コラージュと云っていいのだろうか、ごった煮的にさまざまな要素が生きいきと嵌め込まれ、そのパッチワーク的な意外性、そのDADA的音響の世界が新鮮を提示する。『tautologos3』のミニマル(反復)的でもあり、パッチワーク的でもあり、それが奇妙に新鮮な感覚をもたらす。傑作とかというのではないのだけれど、当たり前に飽き足らない、斜・ハスに構える天邪鬼にはことのほか面白い(不確定)作品である。)≫。


≪大里:70年の大阪万博で、悠治さんがフェラーリの『ウント・ゾー・ヴァイター』を弾かれたのはご覧になったんですか?
近藤:僕は聴衆でした。
大里:その前にフェラーリっていう名前はご存知でした?
近藤:さあ、憶えてないなあ。でも悠治さんが弾いたのは非常に新鮮で面白いと思ったけど。あのリサイタルで弾いたのは……僕の、もし間違いでないとすれば、ケージのチープ・イミテーションってあの時代?もっと前?
大里:ケージのチープ・イミテーションができたのは60年代ですね。
近藤:だから弾いてる可能性ありますよね。それとリュック・フェラーリのが一番印象に残ってたんじゃないかな。で、なんて言えばいいのかな。僕、フェラーリの音が好きなんですよ。音とか音楽の成り行きが。それがすごく印象にあるのと、非常にモンタージュ的でしょ、音楽の作り方が。それが非常に新鮮でしたけどね。
大里:そのうち確かヴェルゴでそれのアルバムが出ますよね。
近藤:ええ。
大里:それが何年だったかな。その頃には近藤さんもフェラーリのこと既にいろいろご存知だったんですか?
近藤:いや、そんなに情報がなくて、ボクが最初に手に入れたLPはパテマルコニかな。
大里:ああはいはい。
イメージ 3近藤:『トートロゴス(III)』と……
大里:『インタラプトゥール』。
近藤:『インタラプトゥール』。あれは好きで何度も聴きましたけどね。
大里:それでムジカ・プラクティカなさってた時に演奏なさいましたよね。
近藤:ええ。
大里:両方やられました?
近藤:いや、『トートロゴス』は……あ、やったな。
大里:『トートロゴス』はやったんですよ。
近藤:『トートロゴス』と『インタラプトゥール』両方やりましたね。
大里:ですよね。で、要するにその時にフェラーリから楽譜送ってもらったわけですよね。 (写真↑:近藤譲)  
近藤:いや、メックのを買ったんだよ。
大里:あ、買ったんですか。
近藤:そうですよ。メックから出てたでしょ?
────サラベールからじゃなかったんですか。
近藤:うん、ポーランドのメックから出てたんですよ。だから(本人との)接触は何もない。
大里:また、なんかやるから送れとかそういうやりとりがあったんだと思ってたんですが、そうじゃなくて。
近藤:うん、全然そうじゃなくて。
────『トートロゴス』って、不確定の要素が強いけど、確定したバージョンっていうのがあるんですが……。
大里:それをやられたんですよね。
近藤:うん。一人一人全然テンポが違う。あれはフェラーリが自分で音符にしたコンサート用のヴァージョンですよね。だからパテマルコニのLPに入ってるのとはもう全然違いますよね。あれはシモノヴィッチだっけ?
大里:はいはい。
近藤:か何かがやってる。
大里:で、それでその頃フェラーリのこれをやろうと思われたのはどういう動機というか。
近藤:いやあどういう……困ったな(笑)。まあその、好きで面白い曲はやろうという気があったから(笑)。
大里:基本的にそうですよね。
近藤:それだけなんですけどね。
────フェラーリを日本に紹介しようとか、そういう使命感みたいなのはあったんですか?
近藤:いやボクはね、一般にそういう意識はないんですよ。誰を紹介しなけりゃいけないとかそういう感じはないんで。
大里:結果的にそうなってるということですね。
近藤:そうです。
近藤:『インタラプトゥール』。あれは好きで何度も聴きましたけどね。
大里:特にムジカ・プラクティカでやられたのが日本初演みたいなのが相当あった。
近藤:そう、それでシェルシみたいなのも、別に紹介しようとかって思ってやってるわけでも何でもないんだけど。
大里:たんに好きでやったらそうなったって事ですか。
近藤:うん、それからもう一つは、当時っていうか60年代70年代にはまだ前衛の主流がわりと盛んだったでしょ。だからポスト・セリエリズムから出てきて、それだけじゃないけど前衛の主流から外れたところの面白さっていうものに興味があったから、その意味ではフェラーリも外れてますよね。
大里:ええ。
近藤:それでちょっと興味があって。≫

  【ネットページ「フェラーリ談義・近藤譲(作曲家)×大里俊晴(音楽評論家)」より引用】(再録



リュック・フェラーリ Luc Ferrari『Und So Weiter (1967)/ Music Promenade(1969)』(1969)

【Und so weiter commisioned by Radio Bremen, Musika Viva (1966) and released in Paris at the Groupe de Recherches Musicales studio, recorded Aug. 1967 with Gérard Frémy, piano. Work for piano and magnetic tape. Music promenade, recorded Aug. 1969: stereo mix from the four tracks version of the original sound installation. Collection Studio Reihe neuer Musik. Program notes by the composer in French and German. "Über Luc Ferrari" (About Luc Ferrari) text by H. Pauli.】

Tracklisting:
A. Und So Weiter
Piano - Gérard Frémy

B. Music Promenade





リュック・フェラーリ関連投稿記事――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/60113645.html リュック・フェラーリ『Presque Rien No 1』と『Société II』。これほど、ひねくれて、斜に構えて骨太くダダを突っ切ったパフォーマンスもいまや貴重な存在。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/46232356.html DADA的音響のパッチワーク的世界に興趣つのる、斜(ハス)に構えるリュック・フェラーリの『Interrupteur』(1967)と『Tautologos3』(1969)。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/21785852.html 存在の異和・齟齬が開示するルック・フェラーリの音世界『Presque Rien No 2』(1980)ほか。





参考リンク――

http://www009.upp.so-net.ne.jp/malaparte/ferrari/f_uplink/ferrari.u.html ■「リュック・フェラーリ ある抽象的リアリストの肖像」LUC FERRARI - portrait d'un realiste abstrait