yuki-midorinomoriの日記

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一柳 慧(とし)『道‐THE WAY‐ 一柳 慧作品集Ⅲ』。突然の破調から終結までの盛り上がりの展開が圧倒的でさすが!、やはり凡庸とは無縁。知と情のバランスの高度の達成、その現代雅楽作品。

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Shangri-La, Photographer Takaki Hashimoto, sho Naoyuki Manabe GALAXY for solo sho / Toshi Ichiyanagi

             
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イメージ 2週末ひさしぶりに繁華街にあるタワーレコードへと足を運んだ。というのもわずかではあるけれどたまっていたポイントが期限切れでもうすぐ流れてしまうということもあってなのだけれど。ネットではなく店頭でものを買うという世代ゆえだ。よしんば買わなくても書物あるいはCDの背文字、その配列に、どのような作家、作曲家が注目されているのか等々のいまを感じるということと相同の目論見、愉しみもある。で、きょうは不純な買い方なのだけれど手にした、私にとっての値ごろなバーゲン価格のついたCDアルバムの内の一枚の紹介。ケージ・ショックを留学先アメリカ・ニューヨークから日本にもたらした、いまや大御所・一柳 慧(いちやなぎとし)(1933-)の現代雅楽作品のアルバム『道‐THE WAY‐ 一柳 慧(いちやなぎとし)作品集Ⅲ』。まず一曲目の「道~龍笛,篳篥,笙,尺八,箏,琵琶,打物のための」は、よくみる大編成の雅楽オーケストラのものではないのだけれど、17分半過ぎからの突然の破調から終結までの盛り上がりの展開が圧倒的でさすが!と感じさせ、やはり凡庸とは無縁のセンスで、混沌のエモーショナルな渦へと我が日本的自然の育んできた感性を投げ入れる。自然が息吹きする武満徹の深奥余情の雅楽と、自然を手繰り寄せ情念を吹き上げる力強い黛敏郎の雅楽。悪い意味ではなくて、一柳 慧のこの雅楽作品は、それぞれのすぐれた雅楽の中間をゆくものといってもいいのかも知れない。知と情のバランスの高度の達成、その現代雅楽作品といっていいのだろう。もう一曲は「時の佇まい~独奏笙のための」という雅楽の特徴的な音色のイメージ形成に大きく与る独特な楽器<笙・しょう>の約20分という長大なソロ作品。私にはこちらのほうは現代音楽的<知>、感性に引っ張られすぎていてあまり感興わかなかったといっておこうか。つまりは、笙でなくてはという衝迫をそこに感じることが出来なかったということだろうか。唐突かも知れないけれど、私には伝統楽器、邦楽を掘り下げ現代に生かすには、アジアの視点(直接的なそれではなく媒介された)が不可欠では・・・、との常々の思い(民族音楽学者の小泉文夫もこのことを唱えていたと思うけれど)がここでも投げ返されてきたと言ってこの稿擱こう。




『道‐THE WAY‐ 一柳 慧作品集Ⅲ』

1. 道~龍笛,篳篥,笙,尺八,箏,琵琶,打物のための
2. 時の佇まい~独奏笙のための


Communion:shou by Miyata Mayumi/hichiriki by Nakamura Hitomi

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