yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

舘野泉『風のしるし-左手のためのピアノ作品集』(2004)。すべてを削ぎ落とした簡潔、「これ以上は切り詰められない音」で奏でられるバッハには祈りと感謝、喜びが格別の思いとして純に響いてくる。

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     「剥き出しの、これ以上は切り詰められない音がそこにあった。」 舘野泉
先にベスト盤が過日すでに投稿されており、順逆でいまさら何をと言った感じもなくはないけれど・・・。だけど幾度も聴くに値する演奏だ、ということで、きょうもきのうに引き続き図書館のネット借受での舘野泉の<左手>だけの演奏によるCDアルバムの投稿だ。ベスト盤が先に出ることはないだろうから(事実ベスト盤は2008年の出版で、きょうのアルバムは2004年のよし)あきらかに、きょうとりあげる『風のしるし-左手のためのピアノ作品集』のほうが先だ。遡って今一度その感動をということだ。けれど≪舘野泉『THE BEST』(2008)。左手だけでのピアノ演奏に「音楽の命」、生命の証を注ぎ込んだ決然の魂のピアノの響き。≫とタイトルした言葉以上のものをべつだん持ち合わせてはいないのだけれど・・・。とはいうも、とにもかくにも、このアルバムはブラームス編曲の、それも左手のための、J.S.バッハの「シャコンヌ」(本来はヴァイオリンのための作品「パルティータ第2番」の最後に置かれている楽曲)の演奏に尽きるといってもいいだろうか。(ちなみに【ブラームスは、バッハのシャコンヌを左手だけで弾く編曲を「こじんまりとして、おおざっぱだが、この(深遠な)作品から生のままの喜びを引き出す唯一の方法」と書いている】のだそうだ)バッハでありブラームスである。これ以上の音楽的出会いはなかろう。舘野泉本人も「剥き出しの、これ以上は切り詰められない音がそこにあった。」(解説書・舘野泉「演奏曲目について」より)と言ってるごとく、彼にとっては到底承伏しがたい意に染まぬ身体的な制約された条件のもとでの根源的音楽体験であったといえるのだろう。厚く荘厳の深みを持って鳴り響くブゾーニ(編曲)の「シャコンヌ」に比べれば、シンプルに過ぎるとの印象もあるかもしれない。しかしすべてを削ぎ落とした簡潔、「これ以上は切り詰められない音」(舘野泉)で奏でられるバッハには祈りと感謝、喜びが格別の思いとして純に響いてくる。新たに音楽と向き合ったよろこび・・・、だろうか。




舘野泉 『風のしるし-左手のためのピアノ作品集』(2004)

1. シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティーニ短調BWV1004より)(バッハ/ブラームス編)
2. 左手のための2つの小品(スクリャービン)
3. 風のしるし・オッフェルトリウム(間宮芳生)
4. 3つのインプロヴィゼーション(ブリッジ)



Anatol Ugorski Brahms Chaconne for left hand 1/2

残念ながら舘野泉のものはないので・・・。