yuki-midorinomoriの日記

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『J.シャルパンティエ:交響曲3番「SHIVA NATARAJA」,VN・ORCHのためのレシタティフ』(1968)。静やかで神秘性をすら感じさせる、細やかな音色の移ろいの妙。

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イメージ 2過日、≪ジャック・シャルパンティエ『オルガンの書』(1973)。聖トマス・アクイナス没後700年に献ずる作品。深淵壮大堅固に響き渡る教会オルガン。≫と寸評タイトルして取り上げたのだけれど、きょうは2稿目として『J.シャルパンティエ交響曲3番「SHIVA NATARAJA」,VN・ORCHのためのレシタティフCharpentier, Jacques: Symphonie No. 3 pour orchestre"Shiva nataraja" (1968) / Recitatif pour violon et orchestre (1968)』を投稿しよう。貼り付けたアルバムの画像を一瞥しただけで、その中身、その思想的背景は察せられよう。この作曲家シャルパンティエはパリに生まれはしたけれど、青年期をインドのボンベイカルカッタにて就学期を過しているせいか、インド・文化思想に大きな影響をうけているとのこと。もちろん今回のレコードに収められている作品もその結晶(インド音楽のリズム、ハーモニー等もろもろの語法探求の成果)というわけなのだけれど。けれど、西欧人によくあるエスノセントリズムを隠し持った底の浅いエキゾティズムを突き抜けた、いい作品に仕上がっているのは強調しておかなくてはならないだろう。静やかで神秘性をすら感じさせる音色の移ろいの妙は、当時のフランスのスペクトル楽派の創生動向に沿うものであったのだろうか。そうしたあたらしい時代潮流へのシャルパンティエからする解答、いや応答のようにも聴こえてくるのだけれど・・・。名を伏せて聴けば、まるで我が日本の作曲家の作品のようにも聴こえる繊細さと神的余情、精神性を、創生と破壊の混沌のうちに流れるように奏でている。事実J.シャルパンティエは、一曲目の「交響曲3番(SHIVA NATARAJA)」(1968)と同じコンセプトで作曲されたもうひとつの単一楽章の作品「Recitatif pour violon et orchestre」 (1968)にふれ、ここでのヴァイオリンのソリストが奏でるレシタティーフは「沈黙から生まれ沈黙へと音は還ってゆく」と、武満徹の言葉か?と思わせるコメントを記している。それは今世紀芸術観に多大の影響を与えているステファン・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842 - 1898)の<沈黙>概念を思想背景にもつようだけれど・・・。



参考リンク――

http://www.momoti.com/saikoro.htm 詩篇 骰子一擲いかで偶然を破棄すべき ステファヌ マラルメ1897 秋山澄夫(訳)1966


イメージ 3マネ画くステファヌ マラルメ