yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

フェデリコ・モンポウ『ピアノ曲全集』(1974)。作曲者自身演奏するCD4枚組み2,380円。寡黙簡潔の清々しさ、これ以上のものはない。

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F. Mompou, Canción y Danza nº VI

           

「私の目的は、最も研ぎ澄まされた内なる耳でも容易には出逢えないような響きを作り出すことでした」
                     by Federico Mompou

先日久しぶりに足を運んだタワーレコードで購入したCDの内の一枚の≪一柳 慧(とし)『道‐THE WAY‐ 一柳 慧作品集Ⅲ』≫を先頃取り上げたけれど、今日はその時おなじく購入したCD『モンポウピアノ曲全集』(1974)を取り上げよう。お気に入りのピアノ作品ということもあるけれど、CD4枚組みで2,380円という超お買い得な価格(黄札ではなかったので正札なのだろうけれど)ということもあって即断手にした。作曲者自身のフェデリコ・モンポウ(Federico Mompou, 1893 - 1987)イメージ 2の演奏によるもので、しかも1974年録音とあるから81歳という老境にあってのものだ。いくらピアノの名手であっても高齢ゆえのもろもろのハンディキャップのなかろうはずはないだろう。しかし、曲風曲想が華麗、煌びやかなヴィルトージティをあまり要求するものではない?こともあってか鑑賞者は十二分にモンポウの<静謐と余韻>、寡黙簡潔で曇りのない≪凝縮された神秘≫の愛すべき透き通ったピアノを堪能できる。ところで、これらわずかな印象のことばは、じつは拙ブログからの再録でしかないのだけれど・・・。過日、フェデリコ・モンポウの一稿目を≪フェデリコ・モンポウ『歌と踊り&前奏曲集』。寡黙簡潔。やさしさと繊細、慈しみ。サティーの次ぎはこのフェデリコ・モンポウを聴こう!。右にサティ、左にモンポウ。≫と寸評タイトルして投稿した。そしてその本文には≪静謐と余韻のピアノの響き。こころ穏やかにして明鏡止水とは、大袈裟か?自我と云う厄介が抑えられている清々しさ。寡黙簡潔で曇りのない≪凝縮された神秘≫の愛すべき透き通ったピアノ小曲の数々。もう一度繰り返し言っておこう。サティーの次ぎはこのフェデリコ・モンポウを聴こう!。好きになること請け合いだ。右にサティ、左にモンポウ。≫と綴った。どシロウトの印象批評ゆえ、これ以上は似たようなことばの繰り返しになるのでこれくらいにして擱こう。よしんばリストやショパンが同じような廉価で棚に並んでいても、私の好みとしてはモンポウのようには即断手にしないことだろう。寡黙簡潔、これ以上のものはない。右にサティ、左にモンポウ