野平一郎・作品集『錯乱のテクスチュア』。特殊奏法満載、いかにも!と言った奇抜はない。けれど構造・論理と感性の見事なバランス感覚。まさに現代音楽の王道を揺らぐことなく堅実に歩んでいるといった趣なのだ。
さて、きょは先日に引き続きタワレコで仕入れてきたCDアルバムの内の一枚(どういうわけか、このFONTECの現代日本の作曲家シリーズの数点が黄札の約半額で売られていた。ありがたいことです。)溢れんばかりの才能で、八面六臂の活躍でいまをときめく野平一郎(1953‐)の作品集『錯乱のテクスチュア』。作曲家自身による作品解説文中にある≪「いまや錯乱状態を組織化しなければならない」≫というこのことばに由来するものなのだろう。このことばは、怒れる若きピエール・ブーレーズが1950年代に著した『音と言葉』の結びでアジテーションされたことばなのだそうだ。逸脱せるもの、秩序・制度、理性から排除されるもの等々の人間的諸事象への<音>楽からするアタック。音への組織化という果敢を意味しているのだろう。斯くあるように、収められた作品のトーンは、ピエール・ブーレーズである。だからといって、貶めているわけでは毛頭ない。その才、センスは抜きんでていて野平一郎の個性であると明確にいい募ってあやまたないだろう。先頃、この戦後現代音楽を牽引してきた大たてものピエール・ブーレーズに、日本のノーベル賞とも称されている京都賞・芸術音楽部門での授与が発表されていた。ちなみに音楽部門での過去の受賞者は、
•1993年 ヴィトルト・ルトスワフスキ
•1997年 イアニス・クセナキス
•2001年 ジェルジ・リゲティ
•2005年 ニコラウス・アーノンクール
•2009年 ピエール・ブーレーズ
ということで、ピエール・ブーレーズも作曲家の殿堂入りということになった。たぶん異存はあるまい。現代音楽の王道を行く作曲家、その典型といえるだろうか。そのブーレーズが創設以来リーダーとして関与し多くの後進を育てる場となった音響研究機関IRCAMで研鑽を積んできた野平一郎もまた、そのブーレーズ同様現代音楽の王道を歩む、いや歩むにたる才能を備えた作曲家といえるのだろうか。普遍的な音楽の王道ゆえ、その作品の放つ芳香はある意味無国籍といえなくもない。だがその割りきりがハッキリしているがゆえの、繊細かつ緊密な音色のみごとな作品世界の結実となっているのだろう。
この作曲家へ目を啓かせてくれたのは、だいぶ前のことになるのだけれど、NHK・FMの「現代の音楽」でのことだった。
この作曲家へ目を啓かせてくれたのは、だいぶ前のことになるのだけれど、NHK・FMの「現代の音楽」でのことだった。
「“挑戦への14の逸脱”から セクション1~6、13、14」
野平一郎・作曲
(30分30秒)
(ピアノ)ピエール・ローラン・エマール
(演奏)アンサンブル・アンテルコンタンポラン
(指揮)ペーター・エトヴェシュ
(技術)イルカム
(コンピューター操作)コート・リッペ
<FOCD-2535>
野平一郎・作曲
(30分30秒)
(ピアノ)ピエール・ローラン・エマール
(演奏)アンサンブル・アンテルコンタンポラン
(指揮)ペーター・エトヴェシュ
(技術)イルカム
(コンピューター操作)コート・リッペ
<FOCD-2535>
「間奏曲 第6番“ジャズの彼方へ”」 野平一郎・作曲
(5分10秒)
(ピアノ)野平 一郎
<野平一郎提供>野平一郎作品集】
(5分10秒)
(ピアノ)野平 一郎
<野平一郎提供>野平一郎作品集】
という放送内容だった。
そのときに、これは!と感じ入り、機縁あれば是非にと記録しておいたのが、「“挑戦への14の逸脱”から セクション1~6、13、14」だったのだ。これは作曲者のCD解説によると
【「IRCAM(音響と音楽の調整を探求する研究所)において1990年に当時としては最もアップトゥー・デートなリアルタイム環境で制作された作品。IRCAMで1980年代はじめに制作された4Xコンピュータを使用してすべての音響処理は、リアルタイムで行われ、現在コンピュータ音楽の基本的なソフトウェアとして世界的に普及しているMAXをそのすべてのコントロール環境に使用した。曲はピアノと8人の弦楽器奏者(ヴァイリン3、ヴィオラ2、チェロ2.、コントラバス1)のために書かれ、その内唯一ピアノのみがコンピュータと接続され、4Xコンピュータ・システムによる音響処理(ハーモナイザー、フレケンシー・シフター、ノイズ・モジュール、サンプラー、リヴァーブ他)を受ける。すなわちピアノのキー、ヴェロシティーの情報がすべての音響処理のトリガーとなる。」】
と解説されている。
リアルタイムにコンピュータを介在させ、不確定性を繰り込んでのアーティフィッシャルな音楽時空を作り上げて響かせるといったこころみといえようか。その感応流動する音色の移ろいは官能的なまでに美しく魅力的だ。
ブーレーズばり!だって何でもイイノダ。この響きが堪らなくいいのだ。≪音の万華鏡、音の迷宮の現出≫。
まさに、このアルバムに収められている作品とのCD再会が、その機縁だったのだ。ネットショップCDレビューのことばに≪作風も問題の立て方もヨーロッパ前衛の王道を行くと言った感じで一点の曇りもない。これらの確信に満ち充実した作品≫とあったけれど、これに付け加えることばはない。特殊奏法満載、いかにも!と言った奇抜はない。けれど構造・論理と感性の見事なバランス感覚。まさに現代音楽の王道を確かな足取りで堅実に歩んでいるといった趣なのだ。ブーレーズ同様、揺らぐことのない現代音楽への強い思い、信任をすら感じさせる。ぜひとも機縁あれば聴いていただきたい作曲家であり、作品と言い募って、この稿擱くことにしよう。
そのときに、これは!と感じ入り、機縁あれば是非にと記録しておいたのが、「“挑戦への14の逸脱”から セクション1~6、13、14」だったのだ。これは作曲者のCD解説によると
【「IRCAM(音響と音楽の調整を探求する研究所)において1990年に当時としては最もアップトゥー・デートなリアルタイム環境で制作された作品。IRCAMで1980年代はじめに制作された4Xコンピュータを使用してすべての音響処理は、リアルタイムで行われ、現在コンピュータ音楽の基本的なソフトウェアとして世界的に普及しているMAXをそのすべてのコントロール環境に使用した。曲はピアノと8人の弦楽器奏者(ヴァイリン3、ヴィオラ2、チェロ2.、コントラバス1)のために書かれ、その内唯一ピアノのみがコンピュータと接続され、4Xコンピュータ・システムによる音響処理(ハーモナイザー、フレケンシー・シフター、ノイズ・モジュール、サンプラー、リヴァーブ他)を受ける。すなわちピアノのキー、ヴェロシティーの情報がすべての音響処理のトリガーとなる。」】
と解説されている。
リアルタイムにコンピュータを介在させ、不確定性を繰り込んでのアーティフィッシャルな音楽時空を作り上げて響かせるといったこころみといえようか。その感応流動する音色の移ろいは官能的なまでに美しく魅力的だ。
ブーレーズばり!だって何でもイイノダ。この響きが堪らなくいいのだ。≪音の万華鏡、音の迷宮の現出≫。
まさに、このアルバムに収められている作品とのCD再会が、その機縁だったのだ。ネットショップCDレビューのことばに≪作風も問題の立て方もヨーロッパ前衛の王道を行くと言った感じで一点の曇りもない。これらの確信に満ち充実した作品≫とあったけれど、これに付け加えることばはない。特殊奏法満載、いかにも!と言った奇抜はない。けれど構造・論理と感性の見事なバランス感覚。まさに現代音楽の王道を確かな足取りで堅実に歩んでいるといった趣なのだ。ブーレーズ同様、揺らぐことのない現代音楽への強い思い、信任をすら感じさせる。ぜひとも機縁あれば聴いていただきたい作曲家であり、作品と言い募って、この稿擱くことにしよう。
●野平一郎: