yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

近藤譲『音を投げる』(春秋社)。ジョン・ケージの投げかけた音楽上の革命的コンセプト(偶然性、人間理性からの音それ自体の解放)への真摯な思索的検討、いわば根源的思考。

イメージ 1

Walk Jo Kondo

         

「私はただ、音楽の存立可能性というものを、音楽の構造上の一根源である「音」というものに立ち返って再考することで、新たな音楽の可能性を探ろうとした・・・」(近藤譲『音を投げる』より)

NHK・尾高賞5回受賞といういまを時めくわが現代音楽作曲家、西村朗が昨年まで担当していた現代音楽紹介の伝統ある長寿希少番組「現代の音楽」で、ゲストに迎えた近藤譲(この作曲家も以前長くこの番組を担当していた)にたいして、作品紹介ののちの放送終了間際、ご足労ねがったお礼の挨拶ともども、≪・・・ところで、ご自身の作品はお好きですか?≫という言葉を投げかけられて近藤譲いわく、ためらうことなく≪・・・ええ、好きですよ。≫といったやり取りがあったのを妙に記憶している。一言一句その通りであったかどうかは保証の限りではないけれど、ニュアンスはそのようなものだった。その、やや否定的な意味合いのこもった唐突な問いかけ、その言辞が興味深かったのだ。
今日投稿する図書館ネット借受の著作『音を投げる』(春秋社)の著者、近藤譲を、武満徹などがこの作曲家のデビュー当時から称揚していたというお墨付きがあったにせよ、思弁的でかつ個性際立つ作曲家として思い入れしていた人物だった。それはたぶんに、十二音列、無調セリアリズムに象徴される音楽革新の閉塞動向へのジョン・ケージの投げかけた音楽上の革命的コンセプト(偶然性、人間理性からの音それ自体の解放)への思索的検討、いわば根源的思考を自身の作曲の出発にすえて華々しかった心意気に讃したのだった。思弁的方法意識をもつ稀な作曲家、それもすぐれた実作の伴う作曲家としてつねに注目していた。ケージの投げかけた問題を真摯に思弁し、言葉に紡ぎ、なをかつ実作に果敢していること自体称賛されるべきことと私には思われる。もっとも必要とされるのは根源的思考ということだ。さいごに、『音を投げる』というタイトルがマラルメの「骰子一擲」の連想を呼び起こし、ケージの<偶然(性)>サイコロを投げるを表徴しておもしろい。

「・・・先ず「音楽」というものを単なる「音」から区別し、その「音」と「音楽」との存在論的な差異を観察することによって、「音」からの「音楽」の成立を考える。つまり、、音は音楽の前提だが、音そのものは音でしかない――すなわち、音楽ではない――というのが、私の立場である。音が音楽になるためには、なんらかの仕方で音が組織化されなければならない。そして、どのような音がどう組織化され得るかを考察することから作曲が始まる。言い換えれば、音を音楽化することが作曲という行為だ、ということである。」(近藤譲『音を投げる』より)



上記放送内容――

現代の音楽 -日本の作曲家・近藤譲-(1)【ゲスト】近藤譲
西村 朗
【ゲスト】近藤 譲
- 日本の作曲家・近藤譲 -(1)

「桑~オーケストラのための~」 近藤 譲・作曲
(12分16秒)
管弦楽東京都交響楽団
(指揮)ポール・ズコフスキー
<ALCD-74>

「橡~6楽器のための~」 近藤 譲・作曲
(11分44秒)
(演奏)ケンブリッジ・ニュー・ミュージック・プレイヤーズ
(指揮)ポール・ホスキンス
<ALCD-45>

「羊歯~弦楽四重奏のための~」 近藤 譲・作曲
(11分05秒)
(演奏)ボッツィーニ弦楽四重奏団
CQB-0704>

現代の音楽 -日本の作曲家・近藤譲-(2)【ゲスト】近藤譲
西村 朗
【ゲスト】近藤 譲
- 日本の作曲家・近藤譲 -(2)

「梔子~バイオリン、クラリネットヴィブラフォン
ピアノのための~」近藤 譲・作曲
(9分43秒)
(演奏)アンサンブル・ノマド
(指揮)佐藤 紀雄
<ALCD-47>

「彼此~チェロとピアノのための~」 近藤 譲・作曲
(9分28秒)
(チェロ)ゾーエ・マートリュー
(ピアノ)アリソン・プロクター
<ALCD-45>

「等高線~6楽器のための~」 近藤 譲・作曲
(9分02秒)
(演奏)アンサンブル・ノマド
(指揮)佐藤 紀雄
<ALCD-57>

「夏の小舞曲~ピアノのための~」 近藤 譲・作曲
(5分56秒)
(ピアノ)井上 郷子
<hat ART-135>