yuki-midorinomoriの日記

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『民音現代作曲音楽祭‘83&‘84]』(LP2枚組み)。土俗の香り芬々のロマンティシズム。肥後一郎の『交響曲』を聴きなおす。

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きょうたまたまNHK・FMの「邦楽のひととき -現代邦楽-」で、現代音楽作曲家・肥後一郎による現代邦楽作品「神楽舞」(12分40秒)の流れているのに出くわし、ことのほか新鮮な印象をもって耳そばだてた。筝と、合いの手?(能などで耳にする)の絡みで曲調を盛り上げてゆくさまがエモーショナルでおもしろかったのだ。こういう現代邦楽なら抵抗なく聴けると思った。ところで、この肥後一郎なる作曲者の名をどこかで目にしたはず・・・ということで、未投稿のレコードをひっくり返してみた。やはり記憶にまちがいはなかった。ありました。イメージ 2民音現代作曲音楽祭‘83&‘84』(LP2枚組み)に『交響曲』が収録されていた。【1940-、東京、早稲田大学第一政治経済学部卒。作曲を松村禎三に師事、第38回音楽コンクール作曲部門第2位入賞】とこれぐらいしかプロフィールはわからない。ところで、アルバムでの自作解説を読めば、もう、拠って立つ基盤、音楽思想、その曲風は一目瞭然だ。ましてや、土俗派松村禎三を師とするというのだから。もっとも音楽を言葉で聴くの愚は承知の上でだけれど・・・以下の如しだ。

【ひたすら無心に、はるかかなたの天空に乱舞する銀白色の星屑たちとたわむれる精霊との交信を、黝々とした豊饒の大地から立ち上る馥郁たる香気が運ぶ地霊との握手を、杜に棲み荒ぶる風神の行き来に哭き軋む木霊との会話を、海原に峙(そばた)つ激浪ときらめくうろくずたちを知食す綿津見の神霊との蜜契を、撓に雲塊を集め、崎に白皚皚(がいがい)を戴き、谺き詩をことよせる山衹の霊気との媾合を、それらを無心に、ひたすら無心に俟ち望み巫子となってその告げ言を書きつけたものに過ぎない。
己のあさはかな感性に凭れ掛かって乱脈に音を書き流すことを戒め、いささか気後れしながらも既に手垢で汚れた形に近い、力学的均衡を志向する造形を試みた。「現代音楽」の破産を半ば自嘲的に嘆き、ほの暗い穴倉にうずくまってすすり哭きながら自己埋没的な語り口で繰言を喋々するよりは、猛々しく率直に己の全てを青天白日の下に露け出し、歌い舞い狂いたいと思う。・・・・いきり立って奇を衒い、居丈高に革命を標榜するむなしさを悟るとき、人の口からは静かな愛の歌がほころぶものだ。それが真の凛々しさであろう。それが荒野に福音をもたらすものであろう。】

むむむ・・・・。いささかの気負いでリキが入りすぎの感がしないでもないが、この土俗の香り芬々のロマンティシズム。けっこうおもしろい。今後目配せしてこの作曲家の作品との出会いを期そう。



民音現代作曲音楽祭‘83&‘84』(LP2枚組み)

[1]-[3] 一柳 慧:ヴァイオリン協奏曲「循環する風景」
[4]-[6] 河南智雄:「オンディーヌ」
    ~ソプラノとオーケストラのための
[1] 三善 晃:「響紋」~オーケストラと混声合唱のための
[2] 石島正博:「オード」~ヴァイオリンとオーケストラのための
[3]-[5] 肥後一郎:交響曲