yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

リヒャルト・シュトラウス『交響詩・ドン・ファン、メタモルフォーゼン』ほか。たまたまのフルトヴェングラー盤なんだけれど。

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            Richard Strauss, Don Juan Op. 20 Berliner Furtwaengler 1954 (1/2) 
            http://www.youtube.com/watch?v=P_0kwgQ5UOU

            Strauss: Don Juan / Daniel Barenboim · Berliner Philharmoniker
            http://www.youtube.com/watch?v=xqSDsfHOVsU

METAMORPHOSEN part III:Herbert von Karajan conducting

            

目ぼしいものというより、聴いてみようかと手が伸びるアルバムでさえも数少なくなってきたわが町の図書館所蔵CD。もっとも選り好みせず無手勝流に、それこそ前にも言ったサルトルの小説「嘔吐」に出てくる、著者のアルファベット順に片っ端から読んでいく独学者のごとく、棚の端から順に聴いてゆくのも、所蔵数が所蔵数だけに、いささかニヒルな心持ちではあるけれどできないわけではないだろうが。そんなエエカゲンな気持ちも半ば無いではないが図書館所蔵CDを借受てきた。フルトヴェングラーリヒャルト・シュトラウスの2作品と、パウルヒンデミットの作品が入ったアルバムで、しかも、前者の作品は1947年という大戦後すぐのテープ録音時代の録音もの。前にも言ったことがあるけれど、名物ものに美味いもの無しのたとえとは少し違うけれど、時代を経ての語り継がれた名盤にいいもの無し、ほとんどいいものに出会ったためしがない (それは多分、推薦者の思い入れ、思い込みの強さとノスタルジアのなせるところなのだろう) 。なにせ旧時代ゆえの録音の悪さ。音楽はまさしく音がいのちです。肝心の鑑賞対象の音の拙劣は命取りだ。媒体技術(録音)の(今日からする)未熟拙劣は音楽の質をカヴァーしようがない。フルトヴェングラーが劣っているとか、つまらないとかではなく、時代の制約のかなしさということだ。同時代人のよき評価の口伝えを鵜呑みにして、いまだにフルトヴェングラーの名盤を称揚するのもいかがなものだろうと思う。専門的な楽曲分析、解釈や演奏実践参照ウンヌンのためになら価値もありはするだろうけれど、シロウトが音楽鑑賞するのに、なにも音質の悪い音源を名盤だからといって手をのばす必要もないだろうと思うのだが。只今現在のいい音質の音源を聴くほうがよっぽどだ・・・。それがどのような指揮者で、オーケストラでなどにかかわらず。たまたま、この古くさい拙劣な音質の(なにか擦り切れたウォルトディズニーの映画劇伴のように聴こえてくる)フルトヴェングラー盤には、拙ブログへは未投稿のリヒャルト・シュトラウス交響詩ドン・ファン Don Juan Op.20」が入っており、それに好きな「メタモルフォーゼン・ 23の独奏弦楽器のための Metamorphosen」が収録されているということで借りたまでのことなんだけれど。しょうじき、フルトヴェングラーを聴きたくてではない。繰り返しになるけれど良い悪いじゃなく・・・。その演奏解釈等々などのウンヌンカンヌンは私にはわからない。古くて拙劣な音質の音盤には、たとえそれらが名盤といわれていようが興味そそられないということだけで。なにせ、今までさんざん名盤なるものには落胆、失望させられてきたもので・・・。





収録曲:
1. 交響詩ドン・ファン Don Juan Op.20(1888)
2. メタモルフォーゼン Metamorphosen・ 23の独奏弦楽器のための(1945)
3. ウェーバーの主題による交響的変容 (1943)(作曲:ヒンデミット



RICHARD STRAUSS GALA-92.CLAUDIO ABBADO. DON JUAN. 1/2