yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ピエール・シェフェール『Étude Aux Objets ほか』(1971)。なんだかんだ言っても先駆けた貴重なドキュメントの価値は損なわれるものではないだろう。

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SCHAEFFER 《Etude aux objects, ler mvt》

            

およそ4年前の拙ブログ開設間もない頃に≪ピエール・シェフェールの尋常ならざる意志と生命のミュージック・コンクレート≫とタイトルし、ミュージック・コンクレートの世界での、先駆的貢献をなした≪歴史上初めて音楽に磁気テープを用いた人物≫(WIKI) ピエール・マリー・シェフェール(またはシェッフェル、Pierre Henri Marie Schaeffer, 1910 – 1995)のアルバムを取り上げ投稿している。そこで、冒頭≪私たちはこうしたミュージックコンクレートの作り出す音を笑って済ますことがあっていいのだろうか。≫と記事を書き出している。たしかに、アナログシンセサイザーからデジタルシンセサイザーと、いまやコンピュータ上で簡単にあらゆる音を作り出せる超電子技術化時代を迎えて、≪楽音ではない、人の声、動物の声、鉄道の音、自然界の音、都市の騒音などを電気的・機械的に変質させ、組み合わせて≫(同上)、それらの音源テープの切り貼りという手作業を基本とする創成期のシェフェールの作り出した電イメージ 2子音を、こんにち聴くと哀しいまでの拙さで耳に届いてくる。その手作り感漂うシンプルな電子音の数々を聴いていると、素朴さにほのぼのすると言うより、なにやら、その拙さがもの哀しく、愛おしく思えてくるのも時代の隔たりゆえなのかしれない。ところで、この先駆者ピエール・シェフェールとともにミュージックコンクレートの世界を切り開いてきたピエール・アンリは音大出の若き作曲家であり、シェフェールはといえば放送局の電気技師だった。その両者の電子音に向き合う違いを≪作曲家ピエール・アンリの優れた音楽の資質が創り出す具体音の電子処理がかもし出す感性の質と電気技師が本来の出自であるピエール・シェフェールのそれとは音の処理、加工変容がもたらすことへの関心のありどころがやはり違っているように思える。ピエール・アンリには自らの作品に名付けるいろいろなタイトルからして、やはり音楽という感性ベースを決して手放してはいない。音の電子処理という現代産業技術が戦後はじめて生み出した感性フィルターを通しての異形の、今までありえなかった音への受容関心は、それらが開示する音楽上での意味世界の出来にあったのではないだろうか。あくまで音楽形成の意志が必然の場であった。とりわけそうしたことが闡明にされるのはモーリス・ベジャールのダンス音楽においてだろう。いまだかって聞いたこともない電子処理を施された異形の音が開示する意味の世界は、そのダンスの革新性とあいまって動きと音との邂逅には非常に新鮮な驚きをもたらす出来事の世界到来であったと思われる。それに比してピエール・シェフェールには、音それ自体の電子技術による変容が音連れてもたらす新鮮な驚き、関心に重きがあるように思われる。音に向き合う姿は音それ自体のうちにある。音と化したピエール・シェフェールともいえよう。異形な音を形成発する電子機器と化したその存在には尋常ならざる意志と生命があるともいえるだろう。≫と先の稿に記している。けれど、なんだかんだ言っても先駆ける貴重なドキュメントの価値は損なわれるものではないだろう。




ピエール・シェフェール Pierre Schaeffer 『Étude Aux Objets - Étude Aux Allures - Étude Aux Sons Animés - Étude De Bruits - L'Oiseau RAI - Suite Quatorze』(1971)

Tracklist:
A1.Étude Aux Objets 16:40
A2.Étude Aux Allures 3:45
A3.Étude Aux Sons Animés 4:15
B1.Étude De Bruits 12:25
B2.L'Oiseau RAI 2:35
B3.Suite Quatorze 9:15



Pierre Henry - 01 - 04 - Prologue / Psyche Rock / Jericho Jerk / Teen Tonic