yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

三善晃『交響三章』(1960)、武満徹『樹の曲』(1961)、柴田南雄『シンフォニア』(1960)。わが国現代音楽のスタンダード。

イメージ 1

武満徹「樹の曲」: Music of Tree(1961)

            

リリースされたのが1980年とタイプされている。DENONの<シリーズ・現代日本の音楽・1500>の#1として出されている。ぼろぼろになったレコードの帯には、「60年代初頭を飾る三大管弦楽曲」と謳われている。たしかにビッグネイムの三人の60年代初頭に作曲された3作品が収録されている。「三大管弦楽曲」かどうかは私には分からないが。べつに突き放して言っているのではない。系統だって鑑賞しているわけではないので・・・。三善晃の「交響三章」(1960)、武満徹の「樹の曲」(1961)そして柴田南雄シンフォニア」(1960)が収録されている。クラシック音楽!ファンならせめてこれくらいは我が国の現代音楽鑑賞曲のリストにあげて欲しいものだ。ドシロウトながら長年現代音楽鑑賞を趣味としてきて思うのだけれど、日本の現代音楽作品の質の高さをもっと讃えるべきと思う。演奏家は義務としてでもこれら日本の作曲家の作品をプログラムに採り入れ世に知らしむべきと日頃思っているのだけれど。あちら!では、自国の作曲家作品を周知普及に寄与すべく努めているように思うのだが。作曲家たちが世界で頑張っているわりに演奏家たちは現代モノには不寛容というより不感性であるようだ。あまりよそのことを持ち上げたくはないけれど、音楽学校の学生クラスでもリッパな演奏をしているのをYOUTUBEなどで聴いていると、その感いっそう強くする。アヴァンギャルドな物までとは言わないけれど、せめてこのアルバム作品程度ぐらいはスタンダードとして演奏プログラムに組み入れるべきなのでは。それはともかく、【三善晃はけっこう過激で戦闘的だ。その精神において。ロマン主義者、形式至上主義者などと括って足れりとは到底いかないようだ。その精神は激しい。収録の「弦楽四重奏曲第二番」それに「ヴァイオリン協奏曲」の見事な名作を聴けば、肯けもできよう。素晴らしき白昼の激する情熱である。滅滅たる夜ではない。彼のことばに≪ソナタに精神なんかありはしない。あるのは形式だけだ。そして形式は精神の形をしている。精神はそれを、アプリオリに承認している。≫(弦楽四重奏第一番・SAC個展小冊子・62年3月)これは有名なことばだそうである。多分これがすべてなのだろう。形式が実質なのだ。】とだいぶ前拙ブログに≪<もの>「実質」の亡失。飢える精神の厳しさに耳そばだて、不可能性を生きるその激する内面のドラマを聴く『三善晃の音楽』(1970)3枚組≫と寸評タイトルして投稿している。古典的形式で純粋絶対音楽の極み、深い余韻すら届くその質の高さは言うまでもない三善晃の「交響三章」。こんなのを聴くと当時飛ぶ鳥落とす勢いのあったのも肯けようものだ。現実と精神は屈折している。ただ最近はあまりこの大家の動静を聞かないが、私の不勉強なのか。さて柴田南雄の「シンフォニア」。これも、この作曲家の5枚組みの『柴田南雄の音楽』を投稿した折、引用したことば

【柴田――歴史主義、といろんな人によく言われましたよね、僕は
徳丸――そうですか。
柴田――曲ではないんですよ。
徳丸――態度がですか。
柴田――様式の変遷を必然的なものと見すぎる傾向があるという意味なんでしょうかね。

                ――音楽芸術・1976年8月号(レコード解説書より)】

と云うことばが思い浮かんでくる。そうした現代音楽の開発した必須の様式の手習いといったら言い過ぎかもしれない。よくまとめ上げられているというべきなのかも・・・。

さて最後の武満徹「樹の曲」。小品だけれど、煌めくばかりのタケミツトーンが鳴り響いて来る。60~70年代の武満は絶頂だ。その先駆けと言える作品なのだろうか。管弦楽曲に限っても

【環礁(Coral Island, 1962年)(ソプラノ、管弦楽 - 大岡信の詩による)

弦楽器のためのコロナII(Corona II for strings, 1962年)(「環礁」に併合、またのちに「アーク」に併合)

テクスチュアズ(Textures, 1964年)(ピアノ、管弦楽。のちに「アーク」に併合)

地平線のドーリア(Dorian Horizon, 1964年)

弧(アーク)(Arc part.1, part.2, 第1部 1963年 - 1976年, 第2部 1964年 - 1976年)(ピアノ、管弦楽

グリーン(Green, 1967年)

ノヴェンバー・ステップス(November Steps, 1967年)(琵琶、尺八、管弦楽

アステリズム(Asterism, 1968年)(ピアノ、管弦楽

クロッシング(Crossing, 1969年)(ピアノ、ギター、ハープ、打楽器、女声合唱、管弦楽

ユーカリプスI(EucalyptsI, 1970年)

カシオペア(Cassiopeia, 1971年)(打楽器、管弦楽

冬(Winter, 1971年)

秋(Autumn, 1973年)(琵琶、尺八、管弦楽

ジティマルヤ(Gitimalya - Bouquet of Songs - , 1974年)(マリンバ管弦楽

秋庭歌一具(In an Autumn Garden, complete version, 1973年, 1979年)

カトレーン(Quatrain, 1975年)(クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、管弦楽 - メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』の編成に基づく)


といった傑作の連山陸続とする60~70年代だ。武満徹の宇宙はここにある、と言っていいのだろう。




三善晃『交響三章』(1960)、武満徹『樹の曲』(1961)、柴田南雄シンフォニア』(1960)



Akira Miyoshi ~ Trois Mouvements Symphoniques




三善晃、投稿済み記事――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/48680790.html <もの>「実質」の亡失。飢える精神の厳しさに耳そばだて、不可能性を生きるその激する内面のドラマを聴く『三善晃の音楽』(1970)3枚組


柴田南雄、投稿済み記事――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/58351852.html 柴田南雄柴田南雄の音楽』5枚組み。武満、黛らを代表とする戦後現代音楽の飛躍的発展の礎となって、教育、啓蒙と貢献したその功績聴くべし。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/51828712.html 戸田邦雄の『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』(1957)。日本で最初の12音列技法によるヒューマンな響の作品と柴田 南雄の12音列の巧みで余情歌い上げる『北園克衛の・三つの詩』(1954-58)。