yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

吉本隆明『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ―』(大和書房)。甲論乙駁、ああ言えば、こう言うも結構ですが・・・。

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きょうは、ちょいと音楽ブログを休憩(動画音源伴う音盤紹介であれば甲斐があるのだけれど、拙ブログの主テリトリーであるマイナーな現代音楽、フリージャズなどはそうしたものが少なく、したがって、無いとなるととたんに意気萎える。文字を連ねても音がないとな~と・・・、要するに手詰まりといったところです)。で、職場近くの図書館で借り受けて最近読んだ、吉本隆明(よしもと たかあき、1924 - )の『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ―』(大和書房)の印象をひと言。社会常識では否定的に語られる<ひきこもり>なる社会現象を、そうではないんだと、むしろ「ひとりの時間をもつ」ということのなかでの価値創造、価値醸成の期間、事態として肯定的に捉えるべきだとの彼の主張は肯けるものがあるとはいえ、なんだか、甲論乙駁、ああ言えば、こう言う類の意見のようにも思えてしまうのだが・・・。常識的な社会一般の見方を覆すおもしろさはあるのだけれど。それよりむしろ、この書『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ―』を読了返却してのち幾日か経ったあと、元国立天文台長ですばる望遠鏡の建設に尽力した天文学者小平 桂一(こだいら けいいち、1937 - )の、新聞の短期連載エッセイの中で引用語られていたことばが目にとまったのだった。それはフランスのシュールレアリスト、抵抗詩人で小説家のルイ・アラゴン(Louis Aragon、1897 - 1982 )の「ストラスブール大学の歌」なる詩にある言葉なのだそうだけれど。

   教 え る と は 希 望 を 語 る こ と
   学 ぶ と は 誠 実 を 胸 に 刻 む こ と
私には「社会の嘘」「学校の嘘」などと、社会常識を逆撫でるごとく、しかしある意味では言い得てるとは云え、そう語るのも甲論乙駁で大いに結構なことと思いつつも上記言葉の示す至誠の方が好きである。