ハイドンほか『トランペット協奏曲』。ココロは、バロック音楽のトランペットの音色とともにストレートに青く澄み切っています。
その≪きらびやかな音色が好まれ≫トランペット協奏曲が数多く作曲されたのはバロック時代なのだそうだ。たしかに聴けば聴くほどそう思う。ネット図書館で借り受け今日投稿する『ハイドンほかトランペット協奏曲』に収録された作品を鑑賞してその感つよくする。しかし、拙ブログへはクラリネットやオーボエの作品投稿はあっても、この「トランペット協奏曲」は初めてだ。なんでも≪古典派や前期ロマン派の時代では、作曲家達がより深みのある作品を作ろうとする傾向へと時代が流れていく中で、当時のナチュラルトランペットには自然倍音しか出せないという決定的な弱点があったため、トランペットは作曲家達の要求に応えることが出来ず、トランペット協奏曲はあまり作られなくなった。≫(WIKI)とある。その特長とする、華やかさ、きらびやかさが疎ましく?感じられる時代とは・・・、〈個人〉表現へと沈滞する、内向する時代の到来と言うことなのだろうか。人間がなべて<自己(意識)>に拘泥する鬱陶しい存在に成り果てたということなのだろうか。<深み>へとは、つまりはどんづまりへの途だったか?。そう思いたくなるほどのこの壮快なトランペットの音色。スカッと晴れ渡った5月5日の青空にふさわしいトランペット協奏曲でこの大型連休を打ち上げるとしよう。ココロはバロック音楽のトランペットの音色とともにストレートに青く澄み切っています。
春の朝(あした)
時は春
日は朝(あした)
朝(あした)は七時
片岡に露みちて
揚雲雀(あげひばり)なのりいで
蝸牛(かたつむり)
枝に這ひ
神 そらに知ろしめす
すべて世は事も無し
ロバート・ブラウニング〈上田敏・訳)
時は春
日は朝(あした)
朝(あした)は七時
片岡に露みちて
揚雲雀(あげひばり)なのりいで
蝸牛(かたつむり)
枝に這ひ
神 そらに知ろしめす
すべて世は事も無し
ロバート・ブラウニング〈上田敏・訳)
『ハイドンほか、トランペット協奏曲』