トマス・ルイス・デ・ビクトリア『ミサ・おお、何と栄光に満ちた王国なのか』ほか。それにしてもアカペラ無伴奏のポリフォニックな合唱の何と敬虔な響きだこと。400年前!?。
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ええ?そうなの。はじめて知りました。
それにしてもアカペラ無伴奏のポリフォニックな合唱の何と敬虔な響きだこと。祈りの声だからか?
この人間の声の清々しい聖なる響き。先のモンテヴェルディ 『聖母マリアの夕べの祈り(晩課)』の記事でも述べたけれど、
それにしてもアカペラ無伴奏のポリフォニックな合唱の何と敬虔な響きだこと。祈りの声だからか?
この人間の声の清々しい聖なる響き。先のモンテヴェルディ 『聖母マリアの夕べの祈り(晩課)』の記事でも述べたけれど、
【おお~、なんたる絢爛華麗。神の威光ここに極まれりと、尖塔に響きわたる荘厳重厚。これが我が安土桃山時代から徳川・江戸時代初期にかけての同時代に書かれた作品であることに、まず驚くことであった。イタリアはクラウディオ・ジョヴァンニ・アントニオ・モンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi, 1567 - 1643)の『聖母マリアの夕べの祈り(晩課)』。1610年の作。絢爛華麗もあるけれど、この圧倒的なまでの劇的迫力。このゆるぎのなさ。見事でございますデス。ところでこのモンテヴェルディが活躍していたイタリアはローマに≪ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見(えっけん)≫を賜ったとして知られる天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)団が訪れているのだ。ときは1582年(天正10年)出航。1590年(天正18年)長崎に帰港とある。かの地に斯くなる絢爛華麗な神の栄光がポリフォニックに天上を響きわたっていたのだろう。その使節の目的の一つには≪日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを少年達自ら語らせること・・・≫(WIKI)とあったそうだ。まさに<神の栄光、偉大>がここモンテヴェルディの響きにあると言いたくもなる。】
まさに、今日のトマス・ルイス・デ・ビクトリアもこれとほぼ同じ時代の宗教作曲家なのだった。400年前!?。この崇高なまでのポリフォニックな響きを前に・・・。
トマス・ルイス・デ・ビクトリア Tomás Luis de Victoria『Ave maris stella - O quam gloriosum』
モテット「おお、何と栄光に満ちた王国なのかMotet O quam gloriosum」
ミサ「おお、何と栄光に満ちた王国なのかMissa o quam gloriosum」
2. Kyrie
3. Gloria
4. Credo
5. Sanctus
6. Agnus Dei
ミサ「めでたし、海の星よMissa ave maris stella」
7. Kyrie
8. Gloria
9. Credo
10. Sanctus
11. Agnus Dei
2. Kyrie
3. Gloria
4. Credo
5. Sanctus
6. Agnus Dei
7. Kyrie
8. Gloria
9. Credo
10. Sanctus
11. Agnus Dei