ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集、第45~55番』投稿第3弾。ネガティヴ感情しめやかに流れるマイナー調のワタクシ好みの作品第49番の「受難」ほか。
きょうは、ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集』の投稿第3弾。やはり?飛び飛びにしか聴いておりません(聴けません)。なにせ膨大な数(≪104曲+数曲≫)!なもので・・・。で、どれから聴くかとなるとどうしても作品ナンバー表示のみのものより、中身とはさほど(というより殆んど)関係がないというものの、タイトル名の冠せられているものから聴いているようだ。すでに闇雲な趣くままの鑑賞から≪ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集』。第90番から98番までの巻を鑑賞。≪104曲+数曲≫!冗談でしょうと・・・何がそうまでさせたのか。≫と≪ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集』。第17番から31番までの巻を借り受け鑑賞。この健康さ、明るさ、かっちりした古典的形式感、ほんに貴方は幸せものだと言いたくなる。≫の2稿を投稿している。さて、きょうの投稿第3弾は第40番から第55番までの巻を町の図書館より借り受けてのもの。先ずは第45番に付けられている「告別」や第49番の「受難」というタイトル文字に引きつれられての鑑賞となった。悲劇性好みの難儀なワタクシの性向・・・。さすがこれらはタイトルと無関係とはならずネガティヴ感情しめやかに流れるマイナー調のワタクシ好みの作品であった(どうやら次の鑑賞はオラトリオとなりそうだ)。ところで、これらの作品は、なんでもハイドンの作曲史での≪シュトゥルム・ウント・ドラングを代表する交響曲≫(WIKI)なんだそうで・・・そんな音楽史的呼称(区分け)のあることなんぞ初めて知った次第。
さすが?・・・交響曲の父ハイドン!?と、まことに恥ずかしいぐらいに月並みな讃にてこの稿擱筆でゴザイマスデス。
さすが?・・・交響曲の父ハイドン!?と、まことに恥ずかしいぐらいに月並みな讃にてこの稿擱筆でゴザイマスデス。
Joseph Haydn / Symphony No. 53 in D major "L'Impériale" (Kuijken)