yuki-midorinomoriの日記

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アントン・ブルックナー『交響曲第8番ハ短調』。う~ん、長い!、長すぎる。80分。

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Anton Bruckner - Symphony n. 8, Furtwängler 4 (1/3) :Berliner Philharmonic Orchestra. 15 March 1949 (Titania Palast). 4. Finale. Feierlich, nicht schnell (first part of three).

            

       「夢の混乱した二日酔いの形式」(エドアルト・ハンスリック

音楽史的知識のない音楽ブログで恥さらしもいいところなのだけれど、ブルックナーって、いったいいつ頃の人というわけでWIKIで確かめてみた。というのも、先日新聞の文化欄で「ブラームスブルックナー」なる記事があった。その記事の主旨の細目を情けない事に思い出せないのだけれど「ブラームスブルックナー」というそのタイトルを目にし、えっ?同時代なのというわけだった。ちなみにヨハネス・ブラームスJohannes Brahms, 1833 - 1897)、ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824 - 1896)。ということだった。なんとブルックナーのほうが9年も前に歴史に呱々の声をあげているではないか。泉下に入ったのはほぼ同時期だ。ちなみにグスタフ・マーラーGustav Mahler, 1860 - 1911)、リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864 - 1949)は、ふた回り後代の作曲家となる。俗に謂うドイツ3大Bの一角ブラームスブルックナーが同時代人というあらためての驚きだった。両者のなんたる音楽様式の違い。ワーグナー派のブルックナーというわけか。ところで、ちなみにヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813 ライプツィヒ - 1883 ヴェネツィア)で、ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810 - 1856)ということだ。当方,斯く音楽ブログを行っていながらのこの程度の音楽史理解しか持ち合わせていない。ワーグナー派とブラームス派。これはよく聞く音楽史的な(2大)動向表現のようだ。たしかに、その音楽表現、様式に大きな違いを感じさせる。これは私のようなシロウトでも分かる体のものだ。ただ、ワーグナー的仰々しさが疎ましく、それゆえ避けてきた私にとって、その派、流れに属すブルックナーが、ブラームスと同時代人であり、わずか4つの、しかしいずれも傑作の交響曲を残したブラームスとの違いを確認したくて、生前の内に完結仕上げた最後の、80分を越す長大な交響曲、それもブルックナー最高の作品(冒頭の新聞記事で知りました)といわれている『交響曲第8番ハ短調』を町の図書館で借り受け鑑賞した。

う~ん、長い!、長すぎるだった。もちろんロマン派の極点ともいえる壮麗壮大な、そのオーケストレーションには感心いたしはしましたが・・・。


リヒャルト・ワーグナーとは反りが合わなかった。そのワーグナーの影響を受けたアントン・ブルックナーともしばしば衝突した(ブラームスは、ブルックナー交響曲を「交響的大蛇」と貶している)。ブラームスオルガニストとしてのブルックナーは高く評価していたが、ブラームスの支持者である評論家のエドゥアルト・ハンスリックとブルックナー支持者との間に論争が起こったので、勢い作曲家としては認めることはできなかった。それでも、同じウィーンに住む者同士の反目は良くないと間に立つ人がいて、両者はブラームス行き付けの「赤いはりねずみ」で会食した。このとき、2人とも肉団子が好物だった事がわかり、打ち解けた雰囲気となった。そのときのブルックナーの言葉は「ブラームス博士!この店の肉団子こそ我々の共通点ですな!」。1896年のブルックナーの葬儀にはブラームスは会場の扉にたたずんでいた。中に入るように促されたが「次はわしが棺桶に入るよ」と寂しそうにつぶやいた。】(WIKI)




アントン・ブルックナー交響曲第8番ハ短調


Bruckner Symphony no. 8 4th Mov. 1/3 Karajan VPO 1979