yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

穐吉敏子『ジャズと生きる』。

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Toshiko Akiyoshi Piano Trio

           

【・・・そんな時、私の心を支えてくれたのは、パリで「君は女性ナンバーワンのピアニストだ」と言ったバド・パウエルの言葉と、「君は天才だと思うよ」と言ってくれたチャーリー・ミンガスの言葉だった。私の尊敬するあの二人がそう言ってくれたのだ。私は何かを持っているのだろう、頑張ろう、と絶望するたびにそう思って続けた。・・・】(『ジャズと生きる』より)

波乱万丈、才能と幸運、努力継続を意味する天才。だからこその自伝出版であるわけで・・・と、シニカルに読後を締めくくる意地悪な意図なぞこれっぽちもあるわけではないことを先ずことわっておこう。直近拙ブログにて、忘れていやしませんかと自戒もふくめて、

穐吉敏子『ララバイ・フォー・ユー~トシコの子守歌LULLABIES FOR YOU』(1965)。シンプルなジャズ。それでいて、ジャズの愉しさを満喫させてくれる≫

『ベスト・オブ・秋吉敏子』。女だてら?失礼千万、不届き至極。本格のビッグバンドジャズここにあり。それにしても凄いでゴザイマスですデス、このパワー!!!。 ≫

と2稿投稿した。で、大戦後の余燼燻ぶる復興未だ浅き1956年、女性ジャズピアニストとしては初めての米国留学を果たし、すべてを投げうって(愛娘ひとりを故郷の親族に預け送り返すなど)辛苦実績積み上げて後、何故に大きくブレイクし評価を得るビッグバンドに至ったのか、そこらあたりを知りたくてその自伝書『穐吉敏子 ジャズと生きる』をネット図書館で借り受け読んだ。5~60年代現役でバリバリに活躍していた、今や斯界の偉人ともいえるジャズ・ミュージシャン(バド・パウエルマイルス・デイヴィスチャーリー・ミンガスオスカー・ピーターソンジョン・ルイスなどなど)に出会い様々なチャンスと教訓を得たというストーリーなど興味つのらせるものがあった。ところで先の、小編成のコンボでは実力ほどには種々の制約(人種的、男女の性の制約等々)もあり知名得ることかなわず、作編曲の才と妙味で、経済的な窮地を救う手段としてビッグバンドを選択した・・・。と、そこいらあたりまでしか、当の課題の了解は出来なかったのだが。
それにしても、きのう投稿したタンゴ歌手の藤沢嵐子で記した

【・・・満州、大連、そして終戦引揚者、家計を支えるため、生活のための音楽活動への自己投企。う~ん、戦後女性ジャズピアニストのパイオニア、傑女、穐吉敏子と同じような道を歩んだ女性がここにもいたのだ。】

の思いを一層つのらせる言葉でこの自伝を結び擱かれているのが印象に残ったのだった。

「このメモワールを執筆中、武満徹氏が亡くなられたことを知った。私が崇拝していた武満氏は、私の音楽を理解し、尊敬して下さった数少ない友人でもあり、音楽家として先輩でもあった。常に私のインスピレーションの源であった彼が逝ってしまったことは、私の胸に大きな穴が空いたようで淋しい。」

以上のことばをもってこの自伝は閉じられている。(ちなみに、武満徹はジャズが好きだった。)

武満徹も、穐吉敏子、そして藤沢嵐子ともども同じ満洲であり大連育ちであり、困苦独学でその道を切り開き、世界に羽ばたいたひとだった。

同志・・・。