yuki-midorinomoriの日記

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譚盾 Tan Dun『Live in JAPAN オーケストラル・シアター』。民族のエートス、その発露としての大地に根の張った音楽、エネルギッシュな音響、民族(俗)性を包摂した音の創造

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Tan Dun 譚盾(タン・ドゥン): Zheng Concerto (1/4):(Yuan Li, Zheng)

            

イメージ 23年半以上前に≪革新的保守性に、民族の矜持をさえ聞く譚盾(タン・ドゥン)の『マルコ・ポーロmarco polo』(1995-96)≫とタイトルし投稿している中国の(在米)作曲家、譚盾(タン・ドゥン)(Tan Dun,1957 - )の2回目の登場。投稿アルバムはネット図書館借受の『Live in JAPAN オーケストラル・シアター』。これは1994年(第32回)レコードアカデミー賞の現代音楽部門を受賞のよし。

【≪譚盾(タン・ドゥン)の鍛え抜かれた才能は、今日、他に類例を見出せないほどのものだ。中国の永く重い伝統の中での自己確立。また、政治社会状況の激しい変動の中での自己確認のために、音楽表現はかれにとってかけがえのないものとなった。そしてさらに、彼の内面における東洋と西洋の相克は、比類の無い独自の音楽宇宙を顕在化させた。譚盾(タン・ドゥン)の音楽は、そのどこを截っても、人間の生々しい血が噴き出るほどに激しいものでありながら、だがそれはまた同時に、あくまでも典雅である。(1993)≫(武満徹『時間の園丁』新潮社・1996より)と幾分パターン化した評言だけれど、このように述べ讃している。】

斯く武満徹は譚盾(タン・ドゥン)の音楽に注目、讃していた。だから・・・というのではない。この民族のエートス、その発露としての大地に根の張った音楽、エネルギッシュな音響、民族(俗)性を包摂した音の創造は、作曲家のハツラツとした若さに起因するだけではなく、その情熱、パッションのなせるところなのだろう。

アメリカのアカデミズムの言語(例えばコープランドのような保守的な色合いの強いもの)が下敷きになって、その上に施された装飾に過ぎない。この欠点は多くの研究者が指摘している。≫(WIKIPEDIA)といったような、(迎合)保守的革新といえる手法を、通俗的で、あまり評価、歓迎しないといった見方もあるようだけれど。そういったやっかみには、口惜しかったら二番煎じでもいいからやってみな、まず出来ないだろうといえば足りるだろう。つまりはエートスに裏打ちされたパトスにこそ訪れる音響の真性、存在が音と化すという事だ。わけの分からぬ音楽だけが革新というわけでもない。

≪独創は思いつきから生まれるもので、「悔しかったら思いついてみい」・・・梅棹忠夫





譚盾 Tan Dun『Live in JAPAN オーケストラル・シアター』

1. オン・タオイズム
2. オーケストラル・シアター1:Xun~11のセラミックXunとオーケストラと声のための
3. Re~聴衆のリハーサル
4. オーケルトラル・シアター2~2人の指導者と分割されたオーケストラ,バス,聴衆のための


Wu Man and Kronos Quartet Perform Tan Dun's Ghost Opera




リンク記事――
http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/joy/classic/050629_tandun/ 現代作曲界のスーパースター〜タン・ドゥン