モーツァルト『ヴァイオリン協奏曲全集』(CD2枚組)。その二。そは、アダージョ。アンダンテ。無窮の自然に祈り涙する、死すべき存在、死への限界可能存在モーツァルト。
ほぼ3年前に≪アンネ=ゾフィ・ムターの『モーツァルト・ヴァイオリン協奏曲全集』(2枚組み)。モーツァルトという天才に成熟などと言う言葉があるのだろうか。≫と投稿しているのだけれど、最近モーツァルトのアダージョ Adagioにはまり込んでいるせいなのかどうか、またまたそのアンネ=ゾフィ・ムターの投稿済みの同じアルバムを町の図書館で借りて鑑賞した。2回目。先の投稿以上に言うことばなど弩シロウトの私には紡ぎ出せないのだけれど・・・。
あらためてその≪透明な天上的な響き≫、哀しいまでの澄明なココロの響きに聴き入った。
<蛙 声>
天は地を蓋(おほ)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?
【このヴァイオリニストのムターはいわゆる天才少女で音楽人生を華やかに歩んできた人のようだ。13才でベルリンフィルのカラヤンと共演ということからもその抜きんでていることを証してもいるのだろう。≪モーツァルトの曲は俳句のように多くの意味が込められているが、文体は簡潔なように、モーツァルトにも行間を読む能力が求められる。モーツァルトの音楽は静寂に始まり、静寂に消えてゆく。美と静寂を合わせ持つ音楽がモーツァルトだ」と語る≫(WIKIPEDIA)アンネ・ゾフィー・ムターのモーツァルト。5曲のヴァイオリン協奏曲が10代後半以降の2年間に集中して作曲されているのも驚きであるけれど、件の三番の第2楽章アダージョといい、1779年23才の時に作曲されたとされている『ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 k364』の第2楽章の哀しさに満ちた美しいアンダンテなどを聴くと尋常ではない精神のありどころを思わざるを得ない。天才に成熟などと言う言葉があるのだろうかと思ってしまうほどである。】(上記拙投稿記事より)
モーツァルト『ヴァイオリン協奏曲全集』(CD2枚組)
Mozart: Sinfonia concertante, Mvmt. 2a - Vengerov, Power