yuki-midorinomoriの日記

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カール・ニールセン『フルート協奏曲/クラリネット協奏曲/管楽五重奏曲』。グリーグやシベリウスのような民族的ロマンの高揚といった熱っぽさの希薄さが、イマイチ乗り切れない印象の背景にあるのかもしれない。

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Carl Nielsen, Woodwind Quintet opus 43, 1. movement

             

イメージ 2きょうは、ネット図書館で借り受けたデンマークの作曲家カール・ニールセン(Carl August Nielsen, 1865 - 1931)のアルバム『フルート協奏曲/クラリネット協奏曲/管楽五重奏曲』。ラジオ音源でその存在は知ってはいたけれど、さほどの印象なく今に至っていた。ところが、この作曲家を代表する交響曲ではなく、ナガラではあるけれど弦楽四重奏曲のNHK・FMで流れているのをたまたま聴く機会をもち、なかなかいけるではないかと好印象をもち、きょうのアルバム投稿となった次第。ラジオから流れていたのは以下だった。

【「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品44」       ニルセン作曲
                      (24分23秒)
              (弦楽合奏コントラ弦楽四重奏団
            <BIS KKCC-2071/72>】

しかし、これは所蔵されておらず、交響曲も貸し出し中ということもあって、先の、サイモン・ラトル揮るアルバムしかなかったので借りたまで。ところで、このニールセンは、同じ北欧フィンランドの国民的巨星ジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865 - 1957)とまったく同じ年に生を享けている同世代作曲家なのだけれど、その名声知名度は少しく劣っているとは世評言われているようだ。まあ、聴けばやはりそうだなあ、そうかも知れない・・・と頷かせるものがないでもない。オーケストレーションはいいのだけれど何か乗り切れないもどかしさがついてまわる。かたや民族の精神性、愛をつよく感じさせる曲趣をもっているが、ニールセンにはそうしたものをあまり感じさせない、希薄なところがあるように私には思われる。血の気が少ないのだろうか。民族的ロマンの高揚といったような熱っぽさの希薄さが、イマイチ乗り切れない印象の背景にあるのかもしれない・・・。グリーグや、シベリウスに感じるような・・・音楽精神、タマシイ。ところで、アルバム中もっともおもしろく聴けたのは「木管五重奏曲または管楽五重奏曲 作品43」(1922)だった。古典的で、それゆえといえるのか、作為を感じさせない自然な親しみやすさにあふれた、しかしカッチリとした構成感を感じさせる佳曲だ。「フルート協奏曲」(1926)も悪くはないが。けれど、これはサイモン・ラトルの音作りのよさに与るところ大といえるのかも。
ちなみに、このカール・ニールセンシベリウスは、ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862 - 1918)やグスタフ・マーラーGustav Mahler, 1860 - 1911)と音楽活動時期を同じくする。





カール・ニールセン『フルート協奏曲/クラリネット協奏曲/管楽五重奏曲』
NIELSEN: CLARINET & FLUTE CONCERTOS

1. カール・アウゴスト・ニールセン:フルート協奏曲FS.119(FLUTE CONCERTO FS.119)(1926)

2. カール・アウゴスト・ニールセン:クラリネット協奏曲op.57,FS.129(CLARINET CONCERTO OP.57 FS.129)(1928)

3. カール・アウゴスト・ニールセン:管楽五重奏曲op.43,FS.100(WIND QUINTET OP.43 FS.100)(1922)




Carl Nielsen - String Quartet No. 4 in F, Op. 44 (2/3)