モーツァルト『戴冠式ミサ、アヴェ・ヴェルム・コルプス 他』。かの有名な「アレルヤ」は3曲目「エクスルターテ・ユビラーテ K.165」のものだったのか。
てっきり、ヘンデルの曲だと思い込んでいた(どこで記憶のすり替えがおきたのだろう)のが、モーツァルトのものだったことに、ひょんなことで知ることとなった。これといって借りるもの思いつかず、何とはなしにネット図書館で借り受けたのがモーツァルトの『戴冠式ミサ、アヴェ・ヴェルム・コルプス 他』のアルバムだった。モーツァルトの宗教曲といえば、私にとってはこれ以上にないというのが35才の生涯を閉じる直前に作曲された『死者のためのミサ曲』なのだ。それを≪至純にして死を超越する敬虔の祈りを至高の音楽としたモーツァルト『死者のためのミサ曲』(1791)≫とタイトルして投稿したのは4年以上も前だった。そしてつい4ヶ月ほど前に≪K.427』。≪レクイエムに次いで有名な曲≫。偽りはなさそうなのだけれど・・・。≫と投稿した。で、なにげに「戴冠式ミサ」・・・。ま、一度はちゃんと聴いておこうといったていどの動機でしかないのだけれど。で、針?が進み3曲目「エクスルターテ・ユビラーテ K.165 EXSULTATE JUBILATE K.165)」で、かのあまりにも有名な「アレルヤ」に遭遇したのだった。これってモーツァルトの曲だったのか!との覚知だった。
「エクスルターテ・ユビラーテ K.165 EXSULTATE JUBILATE K.165)」
<踊れ、喜べ、幸せな魂よ>
おどれ、歓呼するのだ、
おお、お前たちの祝福された魂よ、
甘き歌を歌いながら。
お前たちの歌に応えながら、
天は私とともに歌う。
親しい日は輝いて、
もう雲も嵐も消え失せた。
予期していなかった平安がいまや立ち現われた。
暗い夜がいたるところを統べていたが、
今や起きるがいい、よろこばしい者たちよ、
今まで恐れていたお前たちよ、
倖せな暁によろこんで、
右手いっぱいの葉と
百合の花を与えるのだ。
おお、お前たちの祝福された魂よ、
甘き歌を歌いながら。
お前たちの歌に応えながら、
天は私とともに歌う。
親しい日は輝いて、
もう雲も嵐も消え失せた。
予期していなかった平安がいまや立ち現われた。
暗い夜がいたるところを統べていたが、
今や起きるがいい、よろこばしい者たちよ、
今まで恐れていたお前たちよ、
倖せな暁によろこんで、
右手いっぱいの葉と
百合の花を与えるのだ。
純潔の王冠であるお前よ、
お前は私たちに平安を与え、
どこにあっても嘆息する心の
烈しい気持ちを慰めるのだ。
お前は私たちに平安を与え、
どこにあっても嘆息する心の
烈しい気持ちを慰めるのだ。
アレルヤ。
邦訳:同梱冊子より
002. ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:ミサ・ブレヴィス ハ長調K.220(196b)「雀」(MISSA BREVIS IN C MAJOR K.220 (196B) "SPATZENMESSE"