ベートーベン。「今、私たちがどこにおり、どこに向かって前進しているか、あるいは何から離れてきたところか・・・」。
きょうは金曜日。そうそう「気ままにクラシック」の時間だったとスイッチオン。バッハの「無伴奏チェロ」。うん?えらく渋いのがかかっているな。こんなのリクエストする人がいるのかと・・・思いつつ、けれどなかなか終わらない。そうこうするうちに(ナガラで聴いているので)ベートーベンの「交響曲」が鳴りはじめた。進行役のパーソナリティーの声がない。震災をオモンパカっての特別番組だったのか?・・・。
その思いがふと胸を過ぎったこともあってか、このとき流れていたベートーベンの「交響曲」に、思わず胸ざわついたのだった。
その思いがふと胸を過ぎったこともあってか、このとき流れていたベートーベンの「交響曲」に、思わず胸ざわついたのだった。
強い「意志」・・・。
<ベートーヴェンの音楽は、そのどの部分をとってみても、今私たちがきいている、その部分が、曲全体の中のどこに当たるかがはっきりわかるように書かれている。今、私たちがどこにおり、どこに向かって前進しているか、あるいは何から離れてきたところか・・・>(フルトヴェングラー)
「今、私たちがどこにおり、どこに向かって前進しているか、あるいは何から離れてきたところか・・・」
放送の内容は以下だった。
【「無伴奏チェロのための組曲 第1番」 バッハ作曲
(18分58秒)
(チェロ)ミッシャ・マイスキー
<ドイツ・グラモフォン UCCG-7065>
「“交響曲”第7番」 ベートーベン作曲
(36分50秒)
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ゲオルグ・ショルティ
<Decca UCCD-6018>】
【「無伴奏チェロのための組曲 第1番」 バッハ作曲
(18分58秒)
(チェロ)ミッシャ・マイスキー
<ドイツ・グラモフォン UCCG-7065>
「“交響曲”第7番」 ベートーベン作曲
(36分50秒)
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ゲオルグ・ショルティ
<Decca UCCD-6018>】
ベートーヴェンは、「作曲家」とは何をする人間であるか、初めて身をもって示した人です。
極端なことを言うと、「作曲の歴史はベートーヴェンから始まる。ベートーヴェン以前に作曲家はいない」のです。
彼は、常に自分の作品に批判を加えました。自己批判を恐ろしく自分に課したのです。また努力できることは、最大限努力しました。他人がそれをわかろうがわからなかろうが関係なく、自らの使命に従って、自らの価値観に忠実に音楽というものを追求したのです。
これを芸術家と言わずして、何を芸術家と言うのでしょう!
音楽家は大勢います。モーツアルトがその最たる人ですが、彼が神に選ばれた音楽家だとすると、ベートーヴェンは神に選ばれることを拒否し、自らの道を歩もうとした偉大な芸術家です。
プロの音楽家というのは。人々を楽しませて生活します。
しかしベートーヴェンは、いかに人間の精神は高貴なものを作りうるか、あるいは人間の想像力は音楽をどこまで高められるか、という課題に生涯をかけました。
ここで初めて作曲家=芸術家という図式が成り立ちます。だから僕のいう作曲家というのはここから始まったというわけです。それまでは音楽家に過ぎません。
・・・
西村朗『クラシックの魔法―スピリチュアル名曲論』より