『ドヴォルザーク:チェロ協奏曲|R.シュトラウス:ドン・キホーテ』。親しみやすい旋律をもち愛される名曲、傑作中の傑作であることは断じて否定はしないけれど・・・。
A.Dvořák- Cello Concerto in B minor: 1. Allegro (1/2):Mischa Maisky, Cello/Conductor, Leonard Bernstein/Israel Philharmonic Orchestra
はや半世紀近い光陰、中・高校生のころには抵抗なくというより、大いなる共感のもと、このドボルザークや、チャイコフスキーの民族臭紛々の明快な音楽を好んで聴いていた。ま、それらが名曲であったということもあるけれど。そうです、「新世界」や「ピアノコンチェルト」などなど・・・。だけど長じて、だんだんその民族臭、田舎くさいロマンティシズム(口がすべったか)が鼻につきだし聴かなくなってしまったのだった。つぎのようなことばもある。≪「・・・しかし、やはりメロディー主体になってしまうのは否めません。途中、ブラームスのようだと思ったら、また舞曲に変わる。堂々とした建物の中に入って、次の扉を開けてみたら、田舎のオッサンが宴会していたみたいな感じです(笑)。素晴らしい旋律と同時に存在する野暮ったさ、田舎者的な感じは、本人は嫌だったかもしれませんが、チャイコフスキーのある種の魅力です。」(西村朗『クラシックの魔法―スピリチュアル名曲論』)≫その道のプロも思っているんですね。まさにこのドボルザークもそのような印象だ。民族性は大事なことです。というものの・・・。
親しみやすい旋律をもち愛される名曲、傑作であることは断じて否定はしないけれど。へそ曲がりなんですね、わたしは。素直ではない。
そうそう、だいぶ以前に≪チャイコフスキー『弦楽セレナーデ作品48』とドヴォルザーク『弦楽セレナーデ作品22』。生誕100周年のカラヤンとベルリンフィルで、その撓る弦の重厚と優美で名曲を聴く。≫とタイトルして投稿していたのだった。
1. アントニーン・ドヴォジャーク:チェロ協奏曲ロ短調op.104(CELLO CONCERTO IN B MINOR OP.104)
[指揮]ズービン・メータ
[演奏]ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2. リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」op.35-騎士的な性格の主題による幻想的変奏曲("DON QUIXOTE" OP.35 - FANTASIC VARIATIONS ON A THEME OF KNIGHTLY CHARACTER)
[指揮]ズービン・メータ
[演奏]ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
A.Dvořák- Cello Concerto in B minor: 1. Allegro (2/2)
[指揮]ズービン・メータ
[演奏]ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2. リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」op.35-騎士的な性格の主題による幻想的変奏曲("DON QUIXOTE" OP.35 - FANTASIC VARIATIONS ON A THEME OF KNIGHTLY CHARACTER)
[指揮]ズービン・メータ
[演奏]ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
A.Dvořák- Cello Concerto in B minor: 1. Allegro (2/2)