『井上頼豊・チェロリサイタル』。プロコフィエフ晩年の作品「チェロソナタ」のリリシズムにはちょいと動かされました。
Prokofiev: Cello sonata in C major, Op. 119(1) : Violoncello : Yo-Yo Ma, Piano: Emanuel Ax
きょう投稿のレコード!『井上頼豊・チェロリサイタル』(1975)。B面に日本の現代作品が収録されているということでの選択ではあるのだけれど。けれど、メインはたぶんA面のプロコフィエフ「チェロソナタ ハ長調 作品119」なのでしょう。というのは、プロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev、1891 - 1953)はどうも好きになれない作曲家のひとりで拙ブログには未だ一回も登場(投稿)したことがない。現代音楽を聴くべしだったのだけれど、意外やいがい、好かったのだ。ただ、今までの思い込みを覆す好印象をもたらしたのは、このレコード収録でのプロコフィエフの「チェロソナタ」、つまりは言ってしまえば井上 頼豊(いのうえ よりとよ、1912 - 1996)の演奏する「チェロソナタ」にではなく、念のため聴いてみた動画音源の名演で、だったのだ。これも致し方ないのかも。といのも、音楽素養のない弩シロウトのわたしごときがちょいと口外するのは憚られるのだけれど、パフォーマンスが・・・ツタナイデス。草創期ゆえの奏力のせいなのかどうかピッチが・・・(わたしの耳のほうが・・・かもしれません)。草創期のわが国の先駆的チェロ奏者のご苦労ご努力までを貶める気などサラサラないことは断っておきますが・・・。それはともかく、病にあったプロコフィエフ晩年の作品とのことだけれど「チェロソナタ」のリリシズムにはちょいと動かされました。
この草創期のわが国の先駆的チェロ奏者、井上頼豊のアルバムは以下1稿投稿している。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/48903246.html まさに日本が、冥く、もの哀しく歌っている井上頼豊の『日本のチェロ曲半世紀』(1977)2枚組。
『井上頼豊・チェロリサイタル』