yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

シェーンベルク『交響詩:ペレアスとメリザンド、浄夜<弦楽合奏版>(1943) 』。ほんとうにすごい作品です。月並みながら、その官能的なまでのエロスをうたいあげる壮麗濃密なオーケストレーション。

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Schönberg: Verklärte Nacht - Mehta/WPh(2009Live)

              


二人の人間が葉の落ちた寒々とした林苑のなかを歩んでいる、
月は歩みをともにし、彼らは月に見入る。
月は高い樫の木の上にかかり、
一片の雲さえこの天の光を曇らさずにいる、
その光のなかに黒い枝が達している。
女の声が語る。

私は子供を宿しています。でもあなたの子供ではありません。
私は罪を背負ってあなたのお側を歩いています。
私はひどい過ちを犯してしまったのてす。
もはや幸福があるとはおもいませんが、
でもどうしても思いを断てなかったのです、
生きる張り合い、母親の喜びと義務を。
それで思い切って身を委ねてしまったのです、
身震いしながらも、
私は見知らぬ人に我が身をまかせてしまい、
そんな自分を祝福さえしたのです。
なのに今になって人生は復讐をしたのです。
今になって私はあなたと、ああ、あなたと巡り合ったのてす。

彼女はこわばった足取りて歩く。
彼女は空を見上げ月はともに歩む。
彼女の黒い眼差しは光のなかに溺れる。
男の声が語る。

きみの授かった子供を、
きみの魂の重荷にしてはならない。
見たまえ、この天地万物がなんと澄んだ光を放っていることか。
万物が輝きに包まれている。
きみは僕と共に冷たい海の上を渡っていく、
だが特別な温かさがきらきら輝きながら、
きみから僕へ僕からきみ行き交う。

この温かみがその見知らぬ子を浄めるだろう。
きみはその子を僕のため、僕の子として産んでおくれ。
きみはこの輝きを僕に運び、
きみは僕をも子供にしてしまったのだ。

彼女の熱い腕に手を回し、
彼らの吐息は微風のなかで接吻をかわす。
二人の人間が明るい高い夜空のなかを歩いていく。

リヒャルト・デーメル
(訳:石田一志、同梱解説より)




以下、すでに投稿しているのだけれど


http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/62296667.html シェーンベルク交響詩:ペレアスとメリザンド」。革新的12音技法確立にいたる以前の、後期ロマン派時代の代表的作品。世紀末後期ロマン派の濃厚壮麗な官能的響きのオーケストレーション

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/50646167.html 後期ロマン派の香り濃厚、豊麗なオーケストレーション浄夜浄められた夜) op.4』(1899)と精神の端然を聞く無調時代の傑作『管弦楽のための変奏曲 op.31』(1926-1928)。


演奏ヴァージョンの違いがあるとはいえ、それにしても、きょう投稿する後期ロマン派に括られるシェーンベルクの『浄夜(浄められた夜)<弦楽合奏版>(1943) op.4』(1899)は、ほんとうにすごい作品です。月並みながら、その官能的なまでのエロスをうたいあげる壮麗濃密なオーケストレーションは、<弦楽合奏版>ということもあり、感動、涙ものといえようか。音楽構造(十二音列主義)を革命したその音楽史的功績以上に、リヒャルト・シュトラウスに遜色せぬ後期ロマン派の壮麗な響きの極点を示す、相並び立つ音楽的天才を思う。

とても敵わぬ音楽的天才のオーケストレーション。(近代)文化爛熟のピーク。ここまで来りゃもう残されるは完璧全体性の崩壊以外なかろうと言いたくなる。


後期ロマン派時代の期を同じくする作品とはいえ、もう一方の「交響詩:ペレアスとメリザンド」は成功した作品とは言いがたい。緩急起伏(コントロールに難)平板な印象がのこる。








2. 浄夜op.4(弦楽合奏版,1943)~リヒャルト・デーメルの詩による



Arnold Schönberg: Pélleas und Melisande op.5 (1903)  Bruno Maderna (dal vivo: Baden-Baden 5 maggio 1960)