yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ロベルト・シューマン『交響曲第1番・Op.38<春>』。ロマンティックに躍動する高揚感・・・。再投稿なんですが。

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Schumann: Symphony No.1 - Thielemann/WPh(2006Live)

              
              投稿音源のものではありません。


かれは自分のしかけたワナにかかった。ロマン主義的原則が遠ざかる女をもとめ、秘教としての古典さを設定していたのに、おもいがけず実現した結婚は生活も芸術も牢獄に変えてしまった。プルジョワ家庭の安定をもとめる妻であり、子供製造器であり、アカデミ″クなピアニストであったクララに強制されて対位法の勉強にはげみ、シンフォニーや弦楽四重奏曲のような古典形式をムリしてつかい、夫婦交代でつける日記を通じて監視されていたのだから、しかも内省的になるのと平行して、教師や指揮者のように性格的にあわない職業で家計を支えなければならなくなったのだから、気ちがいになってあたりまえだ。
(高橋悠治ロベルト・シューマン」)


最近シューマンピアノ曲や歌曲を投稿していた流れでもあるのだけれど、シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810 - 1856)の交響曲を町の図書館で借り受けてきた。もちろん借りてきたアルバムはすでに5年以上前に≪洗練の度をくわえたロマンなベートーベン。ロベルト・シューマンの『交響曲第1番・Op.38<春>』と『交響曲第4番・Op.120』。≫とタイトルして投稿しているのだけれど。そこで下記印象つづっていた。


【 やはりシューマンはソフィティケートとされたベートーベン、洗練の度をくわえたベートーベン、ロマンに色付したベートーベンという印象を再確認した次第。わたしには、『交響曲第1番・Op.38<春>』のほうがその瑞々しさ、晴れやかさにおいて、あとの『交響曲第4番・Op.120』よりは好みであった。・・・ 】


この印象は今回も変わらなかった。ロマンティックに躍動する高揚感・・・。

≪1841年1月から2月にかけて作曲され、同年3月31日、メンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された≫『交響曲第1番・Op.38<春>』。



ところで、拙音楽ブログでは時事問題などは綴りたくないのだけれど・・・。


過剰報道であるやもしれず、しかし・・・。

一党(共産党)独裁、国家資本主義の醜悪さ極まれりの尖閣諸島領有をめぐる中国の反日暴動。愛国無罪(なんと前近代的な)!?を謳いそれに乗じた略奪破壊暴虐(中国在住の日本国民、日系企業への)行為。

(そもそも本来が)民主的法治なんぞあるはずもない一党(共産党)独裁の中国政府が一部賤民大衆の動きを政治的に操り、煽り立て利用しているのは、いまさら言うまでもないこと。

民主的法治意識の成熟すら形成し得ない一党(共産党)独裁の国家と国民(個々の中国人を言ってるわけではない)を持つ隣国が一人前の顔してわが国のみならず、東アジア周辺諸国に対峙侵攻し、領有問題を惹起している。いまや世界に誇る経済成長を遂げ、原爆保有と軍備増強にはしる、驕る国家資本主義の中国。しかし、直近の反日暴動にみる、愛国無罪などと略奪、暴虐(中国在住の日本国民、日系企業への)を許す民主的法治意識の欠如、未成熟の中国社会(ノーベル賞受賞者を軟禁幽閉して平然の国)の姿は国際社会へ向けての恥さらしであることを知るべきである。一党(共産党)独裁が何をうみだしたか。何を形成し得なかったか。白日のもとに曝け出した昨今の事実は、そのことの世界への強烈な反面アピールとなるだろう。

とはいえ、斯様な「民主的法治意識の欠如、未成熟の」一党独裁国家と付き合っていかなければならない。シンドイことですなぁ。


※追記
備忘録として・・・(日経9・21朝刊より)

【・・・もっとも、欧米では中国の外交姿勢に冷ややかな見方が多い。警戒すべき「異質な国」だという分析もみられる。19日付の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの社説はこう指摘した。「中国が道理をわきまえた、信頼できる国という評判を犠牲にしてまでナショナリズムを優先するなら、代償を払うのは中国だ」】