yuki-midorinomoriの日記

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舞楽『春鶯囀一具(しゅんのうでんいちぐ)』。自然が吹き遊(すさ)んでいる。

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春鶯囀(しゅんのうでん)・序

                


≪まさに音がたちのぼるという印象を受けた。それは、樹のように、天へ向かって起ったのである。≫(武満徹

≪この雅楽のように特殊な形態のオーケストラは世に類例を見ない。それはかならずしも特殊な生を永らえたと謂うことに由来するばかりではない。純粋に物理的な見地において特殊であり、寧ろそれは奇異ですらある。だがそれがあの非現世的な魅惑に満ちた音響世界を創出しているのだ。凡そ高音に偏った楽器群、その極度に制限された機能、異質の音色の集合。雅楽は、西洋の調和の概念からは遠く隔たっている。だが、あの永遠や無限と謂うものを暗示する形而上的な笙の持続――それが人間(人)の呼吸と結びついていることの偉大さ――に対して楔のように打ち込まれる箏や琵琶の乾いた響き――それは笙や篳篥とは全く異なる時間圏を形成する―。そして、管楽器の、殊に篳篥の浮遊するようなメリスマ、それらの総てが醸成する異質性(ヘテロジェニー)は、私たち(人類)にとっては決して古びた問題ではない。≫(武満徹


きのう尺八とくれば、きょうは、とうぜんのこと?ながら雅楽・・・でしょう。これぞニッポンとはもちろん言えないのだけれど。いうまでもなく雅楽は大陸渡来とされている。いちいちそんなことは誰も思わない?。いや、この音、響きはやはりニッポンでしょうが・・・と。わが神社仏閣で聴いたり観たりする。しかしニッポンというにはいささかエキゾチックであります。

ネット図書館で借り受けた『春鶯囀一具(SHUNNODEN ICHIGU)』。


【 舞楽の中でも大曲として特別に尊重されている春鶯囀一具(しゅんのうでんいちぐ)は演奏に長時間要することや多人数を必要とすること、更に高度の演奏技術が要求されるというまさに大曲たる由縁によって自ずと演奏される機会にとぼしくいつの頃からか廃曲同然の状態になっていた。・・・いわば幻の名曲となっていたものである。 】(同梱解説より)


この舞楽『春鶯囀』は、『源氏物語・花の宴の巻』では「はるのうぐひすさへづるといふ舞」とも語られているよし。



雅楽って、いつものことながら≪自然が起ちあがってくる息吹、息づかい気韻荘重を深く感じさせ・・・自然が吹き遊(すさ)んでいる。≫といったことば以上が出てこない。


現代の演奏会場用のスケールでパフォーマンスされていることもあってか壮麗荘重に過ぎるといった感がないでもないが・・・。それはそれで大いに愉しめるのだけれど。今風(現代風)の雅楽・・・。




雅楽関連投稿記事――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63029326.html蘭陵王(らんりょうおう)」と「平調調子」。懲りずにみたびの雅楽。自然の<息>吹と勇壮。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63020836.html きのうに引きつづき『伝統音楽のすすめ~名人演奏と共に~雅楽』。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/62059761.html雅楽の世界(上)(下)』CD4枚組。器楽の雅楽もいいけれど、東遊AZUMA-ASOBIなどの朗詠にとりわけ魅かれた。字の通りまさに朗々と歌い上げる清々しさ、その自然な息づかい、自然の息吹。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/58484487.html 『声明と雅楽の世界』。「越天楽」だけで雅楽を済ましてしまうには余りにも勿体ない。歴史が鳴っています。自然が息づき吹き遊(スサ)んでいますといったところだろうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/58473397.html 雅楽、伶楽舎・ 芝 祐靖『陰陽師』。素晴らしい!。自然が起ちあがってくる息吹、息づかい気韻荘重を深く感じさせて秀逸だ。自然が吹き遊(すさ)んでいる。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/39880032.html 1400年の歴史の積層がヘテロホニックに起ちのぼる音の宇宙へと誘う東儀秀樹の『雅楽(天・地・空~千年の悠雅)』(2000)

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/35187444.html 静寂のなか繊細に起ちのぼって響く武満徹雅楽『秋庭歌(しゅうていか)』(1973)

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/35822189.html 雅楽を超越した現代音楽としての響き、悠揚迫らぬ武満新雅楽秋庭歌一具』(1979)

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/58737062.html 武満徹秋庭歌一具』 伶楽舎(2001)。武満徹の、まるで音を自然へ返そう、送り返してやろうとでもいうかのような音そのものの自然性、本源性へ迫る認識力の透徹。



舞楽『春鶯囀一具』
演奏:紫絃会

1. 壹越調調子 ichikotsucho chosi
2. 遊聲 yusei
3. 序 jo
4. 颯踏 satto
5. 入破 juha
6. 鳥聲、急聲 tessho kissho




雅楽 郢曲(えいきょく)朗詠 春過


郢曲 朗詠 春過

(一の句)春過ぎ夏闌(たけ)ぬ袁司徒が家の雪路達しぬらし
(二の句・三の句)朝(あした)には南暮(ゆうべ)には北 鄭大尉が渓
(たに)の風
人に知られたり

大意
(一の句)大雪の日の朝、袁は自分の家の前の雪掻きをしないで寝ていた。
その孝廉(自然に従順)が見込まれて登用された。
(二句・三句)鄭は薪拾いのおり 仙人の箭(せん)(矢竹)を拾い仙人に
返し、
朝は南風、夕は北風を吹かせて欲しいと頼んだところ、その通り吹くように
なった