『都はるみ・ゴールデンベスト』。さまざまなことどもがフラッシュバックのごとく想い起こされ、胸ざわつき涙腺を刺激する「はるみ節」。
都はるみ 昭和43年 好きになった人
最近は図書館で借りるアルバムも限られてきており、といってもそれはクラシックのものなのだけれど。で、きょうは、たまにはいいでしょうと演歌を借りてきた。『都はるみ・ゴールデンベスト』。この歌手・都はるみ(1948 - )を聴くと、わが同世代ということもあって、さまざまなことどもが歌とともにフラッシュバックのごとく想い起こされ、胸ざわつき涙腺を刺激するのだ。私にとって、時代を指し示すノスタルジアはまずいっとう誰よりも都はるみなのだ。
ひとつや ふたつじゃないの
古傷は
古傷は
・・・
(「大坂しぐれ」より)
(「晩秋の駅」より)
ホント、まったく演歌ですね。
しかし、結局はこうなっちゃうんですね・・・。
しかし、結局はこうなっちゃうんですね・・・。
「中上さんとは引退する昭和59年に雑誌の対談で出会い、それ以来とてもかわいがっていただきました。
歌謡界復帰を決意した時、それを中上さんに打ち明けると、「本当にちゃんとやりたいなら、神様のいるこの熊野から始めなさい。おれが全部プロデュースする」と。実際に訪れた熊野には、帰りたくなくなるような奥深さを感じましたし、中上さんの言葉を「きっとそうすべきなんだ」と、素直に受け取ったんです。そして平成3年、かつて熊野本宮大社の社殿があった大斎原で開いた初の野外コンサート。私の再出発です。」
歌謡界復帰を決意した時、それを中上さんに打ち明けると、「本当にちゃんとやりたいなら、神様のいるこの熊野から始めなさい。おれが全部プロデュースする」と。実際に訪れた熊野には、帰りたくなくなるような奥深さを感じましたし、中上さんの言葉を「きっとそうすべきなんだ」と、素直に受け取ったんです。そして平成3年、かつて熊野本宮大社の社殿があった大斎原で開いた初の野外コンサート。私の再出発です。」
『都はるみ・ゴールデンベスト』