yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『雅楽』。声高な「美しい日本」などと唱える気などないですが、しかしわが日本を愛しています。耳そばだて<にっぽん>を訊くとしよう。

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喜春楽(きしゅんらく)「序」 ~「破」

              

さいきん、すこし雅楽づいているようで、以下投稿している。


http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63624162.html 『芝祐靖の音楽 古典雅楽様式による雅楽組曲 呼韓邪單于』。自然のみなぎる生命力、<充溢する気>を感じさせる雅楽の響き。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63607742.html 『芝祐靖の音楽 復元正倉院楽器のための 敦煌琵琶譜による音楽』。ウ~ん、こりゃ近代ではないの?。分かりやす過ぎる違和感のない旋律がかえってそうした印象をもたせる。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63606344.html 舞楽『春鶯囀一具(しゅんのうでんいちぐ)』。自然が吹き遊(すさ)んでいる。


で?また、きょうも雅楽


【 ――日本人は、いつも思想はそとからくるものだと思っている。と、私が尊敬する友人がどこかに書いていた(正確に引用したいのだが、どの本にあったのか、記憶にない。だから著者名もさしひかえざるをえない。)

 この場合の思想とは、他の文化圏に入り込みうる――つまりは普遍的な――思想をさす。古くは仏教や儒教、あるいはカトリシズム、回教、あたらしくはマルキシズム実存主義などを念頭においていい。

 むろん、かつての日本がそういうものを生み出さなかったというのは、べつにはずかしいことではない。普遍的思想がうまれるには 、文明上の地理的もしくは歴史的条件がいる。たとえば、多様な文化をもつグループ群が一つの地域でひしめきあい、ときに殺しあうという条件のもとで歴史が熟する(あいまなことばだが)と、グループ群を超えた普遍的思想が出てくる。それらが取捨されて、やがて一つの普遍的思想のもとにひとびとが服することによって秩序の安定を得る。・・・】(司馬遼太郎「この国のかたち」)


政治家が声高に唱える「美しい日本」なんぞと、あえて言う気などさらさらない。どの民族、国民でも母国、自然が美しく、誇りに思っているのは言を俟たない。

排他的な国粋主義エスノセントリズム)者ではございません。しかしわが日本を愛しています。日本の美学。いいものです。


さて、<日本の美学>とは・・・。以下を導きとしましょうか。


http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63339141.html 松岡正剛『フラジャイルな闘い 日本の行方 (連塾・方法日本・Ⅲ)』。そもそも原理原則、コアな理念、中心がない。デュアル・スタンダード。≪中空・均衡構造≫を深層の方法とし実践するわが日本。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/61919596.html 松岡正剛(連塾…方法日本…Ⅱ)『侘び・数寄・余白<アートにひそむ負の想像力>』(春秋社)。「多様で一途」なニッポンへの「ウツ」「ウツツ」「うつろい」「おもかげ」などの代名詞的な正剛コンセプトの面目躍如

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/61372690.html 松岡正剛『連塾・方法日本・Ⅰ<神仏たちの秘密>』。主題としての「日本」ではなく(情報編集)の「方法(としての)日本」。


そんなこんなで、異文化の外来の音楽が、斯く日本の自然への「多様で一途」な想像・創造力の響きとなった雅楽を、きょうもまた耳そばだて<にっぽん>を訊くとしよう。







雅楽

1. 神楽歌かぐらうた「早歌はやうた」
2. 大和歌やまとうた「倭歌やまとうた」
3. 久米歌くめうた「参入音声まいりおんじょう」
4. 東遊あずまあそび「求子歌もとめこのうた」
5. 催馬楽さいばら「伊勢海いせのうみ」
6. 朗詠ろうえい「嘉辰かしん」
7. 平調音取ひょうじょうねとり「越天楽えてんらく」
8. 高麗楽こまがく「納曾利なそり 破は」
9. 高麗楽こまがく「納曾利なそり 急きゅう」
10. 喜春楽きしゅんらく(舞楽ぶがく)「黄鐘調おおしきちょう 調子ちょうし」
11. 喜春楽きしゅんらく「序じょ」
12. 喜春楽きしゅんらく「破は」



Gagaku: Saibara- Koromogae


雅楽(gagaku) / 蘭陵王~陵王乱声